なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

使徒言行録による説教(50)

       使徒言行録による説教(50) 使徒言行録14:1-7

・「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。」(競謄皀4:2)と聖書には言われています。この「折が良くても悪くても」というところは、口語訳聖書では「時が良くても悪くても」となっています。文字通りパウロバルナバと共に伝道旅行を企て、行った町々でユダヤ教の会堂を通して御言葉を宣べ伝えました。

・今日の使徒言行録の個所は13章に続く所です。13章では、ピシディア・アンテオキアでの二人の宣教活動の結果、主の言葉はその地方全体に広まったと言われています。「ところが、ユダヤ人は、神をあがめる貴婦人たちや町のおもだった人々を扇動して、パウロバルナバを迫害させ、その地方から二人を追い出した」(13:50)というのです。「それで二人は彼らに対して足の塵を払い落し、イコニオンに行った」(13:51)とありますように、ピシディア・アンテオキアを追い出されて、二人がやってきたのがイコニオンという町でした。

・イコニオンは、今日のトルコ中部の都市コンヤのことです。現在のコンヤは人口16万人ほどの結構大きな都市です。アナトリア高原の中央に位置していますので、古代においても現代においても、東西両側からの通商路の中心都市として栄えた町です。考古学的発掘によれば、すでに前三千年期から人間が住んでいたと所で、都市として確立したのはフリュギア人が住むようになってからだと言われています。ピシディア・アンテオキアより東南東、今日の街道で約130キロのところにあります。今日では、13世紀以来、イスラム教の独特な一派の寺院があって、修道士が衣の裾を広く広げてぐるぐるまわって躍る風変わりな修行でしられている所だそうです(田川健三、当該個所註)。

・ピシディア・アンティオキアでユダヤ人の策略で迫害を受け、追い出されたて、逃げてやってきたイコニオンでも、使徒言行録の著者ルカによれば、パウロバルナバは同じようにユダヤ人の会堂に入って話をしたというのです(14:1)。話をしたというのは、御言葉を宣べ伝えたということです。イエスの十字架と復活によって罪赦されて人は皆神と和解し、神の子とされていること。律法によっては義とされなかったのに、イエスを信じるその信仰によって人は皆義とされることなどが、その宣べ伝えの内容だったと考えられます(14:37-39)。と同時に、信じない者には神の裁きが語られたのでしょう(14:40,41)。

・イコニオンでも、二人の働きによって「大勢のユダヤ人とギリシャ人が信仰に入った」(14:1)と言われます。一方、「信じようとしないユダヤ人たちは、異邦人を扇動し、兄弟たちに対して悪意を抱かせた」(14:2)というのです。「それでも、二人はそこに長くとどまり、主を頼みとして勇敢に語った。主は彼らの手を通してしるしと不思議な業を行い、その恵みの言葉を証しされた」(14:3)と、ルカは記しています。

・ここに「主は彼らの手を通してしるしと不思議な業を行い、その恵みの言葉を証しされた」と言われていることに注目したいと思います。パウロバルナバの宣教の働きを用いて、主イエスご自身が、「しるしと不思議な業を行い、その恵みの言葉を証しされた」というのです。ということは、主イエスご自身が、パウロバルナバの語る言葉の真理性を保証し、たしかにご自身から出たものであることを証言してくださったと、ルカは語っているわけです。このことは、ルカがパウロバルナバを「使徒」と呼んでいることに関わるものと思われます(14:4,14)。ルカの考えでは、「使徒」は本来十二人に限られます。ですから、使徒の一人であるイスカリオテのユダが脱落したために、マッテヤがその後任として補充されました(1:26)。そのことを踏まえながら、しかしルカはここで、意図的に使徒団を拡大して、パウロバルナバ使徒としているのではないかと思います。

パウロバルナバの宣教によって、イコニオンの「町の人々は分裂し、ある者はユダヤ人の側に、ある者は使徒の側についた」(14:4)と言われます。御言葉の宣教が人々に分裂を引き起こすということは、福音書の中にイエスの場合にも同じようなことが記されています。マタイによる福音書10章34節以下を見ますと、イエスは、地上に平和をもたらすためにではなく、「人をその父に、娘を母に、嫁をしゅうとめに」敵対させるために、剣をもたらすために来たと言われています。そして「わたしよりも父を愛する者はわたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。また、自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである」(10:37-39)と言われています。

・勿論、イエスの福音宣教において、人と人とが分裂したまま、敵対し合っていることがその目的ではありません。神と人、人と人との和解と平和と喜びが福音のめざすところです。例えばこの使徒言行録のパウロの宣教の場合、ユダヤ人が反対者、迫害者になったのは、律法から自由なパウロの福音宣教にユダヤ人が躓いたからです。ユダヤ人は自分たちの宗教的な伝統を誇示していましたので、パウロの語った言葉を受け入れることはできませんでした。そこにどうしても、パウロの語った福音を受け入れる人と、それを受け入れないユダヤ人の間に分裂が起こり、敵対関係が生まれ、ユダヤ人の側からの迫害、弾圧が起こったというのです。

・これは江戸末期から明治の初めにかけて、日本に宣教師によってプロテスタントキリスト教が伝えられて、例えば北陸などの浄土真宗の強い地域に教会が誕生していったときに、浄土真宗の僧侶が隠れて礼拝に来て、キリスト教の教えを聞いて、それをもってキリスト教の攻撃をしたと言われています。森岡清美さんの『日本の近代社会とキリスト教』の中にもこんな事例が紹介されています。「横浜のブラウン塾で神学を勉強していた押川方義は、新潟の伝道が困難をきわめていることを聞いて明治9年同地に赴いた。新潟は仏教(真宗)の盛んな土地である。それで、ヤソ教の伝道者が来たとの情報が伝わるや、僧侶は民衆を煽動してたちまちここに稀有の大迫害事件が起こったが、天性剛毅不撓(ふとう)不屈の押川はその迫害を物ともせず、しばし死地に出入りして福音を宣伝した。ある時のごときは、暴民に囲まれて白刃の下を潜って遁れたが、この時県吏で押川の容姿の酷似した人が暴徒にとらえられて惨殺され、そのおかげで押川はからくも一命を完うすることができた(『信仰三十年基督者列伝』大正10、208頁、森岡清美『日本近代社会とキリスト教』195頁より)と。正に使徒言行録のパウロの迫害とほとんど同じことが、明治時代に日本でも起こっていたということです。今日の使徒言行録の14章5節をご覧ください。「異邦人とユダヤ人が、指導者(長老たち)と一緒になって二人に乱暴を働き、石を投げつけようとした」と記されています。その時、「二人はこれに気づいて、リカオニア州の町であるリストラとデルベ、またその近くの地方に難を避けた」と言われています。

・福音宣教によって、人々の中にこのような分裂が起こり、宣教者への迫害が生じるのは、それまでのよかれ悪しかれ安定していた伝統社会の中に福音の宣教者によって波風が立てられるからでしょう。福音による人間解放の新しい価値観が入って来ることによって、今までの伝統的な価値観が揺さぶられ、ある種の混迷がそこに起こるからです。伝統的な価値観に縛られている人たちは、新しいものを排除して、自分たちの考え方や在り方を守るでしょう。そこに迫害・弾圧が生じるのです。イエスの場合も、パウロの場合も、押川方義の場合も同じではないかと思われます。

・さて、私たちが属する日本基督教団は、戦時下に国家の力によって合同し、戦時下戦争協力を主体的にしたという誤りを犯しました。それは福音を歪めて、天皇制国家秩序の中で生き残る護教の道を選んだからです。つまり、分裂による迫害・弾圧を恐れたからです。勿論、分裂による迫害・弾圧は、避けられるならば避けることが賢明な判断です。パウロをはじめとする最初期教会の姿勢は、迫害に立ち向かう強さと、それを避ける柔軟さの両面を持っていました。今日の使徒言行録の個所でも、「異邦人とユダヤ人が、指導者(長老たち)と一緒になって二人に乱暴を働き、石を投げつけようとした、その時に、二人はこれに気づいて、リカオニア州の町であるリストラとデルベ、またその近くの地方に難を避けた」と言われています。指導者たちと一緒になって「石を投げつけようとした」ということは、石打ちの刑のような殺害を目的にした行為でしょうから、それに気付いたパウロバルナバは他の町に逃れて行ったというわけです。しかし、このことは、二人の語る福音の言葉を歪めて妥協したということではありません。逃れて行った町でパウロバルナバも、これまでと同じように御言葉を宣べ伝えたのです。

第二次世界大戦の時、バルトはドイツを追われスイスからナチス・ドイツに対し福音の言葉をもって闘いました。ボンヘッファーは一時ドイツからアメリカに逃れていきましたが、ドイツに帰って来て、ヒットラー暗殺計画に加わったということで、当時のナチス・ドイツの秘密警察に捕まって、連合軍によるドイツ解放の直前に処刑されて獄死しています。少なくとも、戦時下の日本基督教団の場合とは、基本的に異なります。福音であるイエスのへの聴従をバルトもボンヘッファーも貫いたのです。

・今日日本社会においては、私たちが御言葉をの宣べ伝える時に、問題になる分裂から来る迫害・弾圧は、あるとすれば憲法を踏みにじる権力の側からのものではないかと考えられます。或いは国粋的な思想を絶対とする右翼の人々からのものかもしれません。特定秘密保護法の施行から、共謀罪のようなものが作られ、治安維持法のようなものが復活してくれば、私たちに対する迫害・弾圧は架空のことではなくなるでしょう。そういうことを考えますと、「時が良くても悪くても御言葉を宣べ伝えなさい」という福音宣教の務めは、第二次大戦下における日本基督教団の歴史への反省を踏まえるならば、私たちが分裂を恐れず、福音であるイエスへの聴従に生きることに尽きるのではないでしょうか。