なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(142)

          船越通信癸隠苅押 。横娃隠看1月12日               

・5日の日曜日は、礼拝後クリスマスの飾りの後片付けを皆でしました。クリスマスツリー、アド

ベント・クランツ(船越のアドベント・クランツは、机の上にテーブルクロスを敷いて、その中心

部に古木を組み合わせ、カイヅカイブキの葉を教会の庭から取って来て、古木の周りに並べ、四角

の赤いローソクを四つその間に置いたものです)、それに道路から外階段を上がるコンクリート

壁に設置した電飾などです。30分ほどでそれぞれ分担して作業を終えて、年末に帰省したMさんの

お土産のお菓子などを頂きながら、お茶にしました。お茶をいただきながら、雑談ですが、それぞ

れがどんなことを考えているのかが分かる時でもあります。12時40分頃散会しました。その後私は

作業があり、簡単に終わると思っていましたら、案外時間がかかり、連れ合いと船越教会を出たの

は午後4時過ぎでした。

・この週は7日の火曜日の教区常置委員会に出席する以外には、出なければならない集まりは何も

ありませんでした。常置委員会は議事も多く、思ったより時間がかかり、午後6時から始まって、

終わったのが午後9時15分過ぎでした。それから、何時ものように地下鉄蒔田駅近くの中華の店で

有志の会食をして、良く食べ、一部はよく飲み、良く話して、そのお店を出たのが10時40分を過ぎ

ていました。私と連れ合いが鶴巻のマンションに着いたのは、0時を少し過ぎていました。この常

置委員会で、負担金の算定が議事にあり、財務委員会は資料を二つ作ってきました。一つは、船越

教会の教職謝儀控除のあるもの、もう一つは、その控除がないものです。財務委員長の説明では、

北村は教団から免職されて、既に教団教師ではないから、船越教会の主任担任教師とは認められて

いない。船越教会はその北村を主任担任教師に招へいして謝儀を出しているが、教団で認められて

いない主任担任教師への船越教会の謝儀を控除の対象にすると、北村を教師として認めることにな

るからということのようでした。財務委員長の説明は、極めて形式的なものですが、その根底に

は、何が何でも北村を教師として認めたくないという意図が露骨に現われています。その議論の中

で、ある常置委員は、教会の謝儀を誰に出すかということではなく、その教会の謝儀控除と考えれ

ば、船越教会は謝儀控除をした負担金としていいのではないかという、ある意味ではまともな意見

を出しました。その意見が決め手になって、常置委員会は船越教会の謝儀控除を認めました。とこ

ろが、その方は、自分が出した意見だが、この議事には賛成はしないと、一言加えて発言していま

した。財務委員長の顔を立てたのかどうかは分かりませんが、その方も、何が何でも免職処分を受

けている私を教団教師としては認めないということなのでしょう。

・昨年暮れから、宣教論に関する書物を読んでいます。日本の教会では、この分野での業績は日本

基督教団が立ち遅れているのではないかと思います。立ち遅れているというよりは、教団の中の一

部は、伝統的な枠組みとしての教会の宣教論を超えて、解放の神学をベースにした宣教論の展開に

なっていると言えるかも知れません。しかし、それは本当に一部の一部で、教団の全体は、特に現

教団執行部の伝道論(宣教論)はもちろん、教団関係の神学校からも見るべき宣教論の成果は皆無

に近いように思われます。翻訳本の中にはいくつか参考になるものがありますが、日本人が書いた

ものでは、宮平望さんのものはまだ読んでいませんが、バプテストの松田和憲さんとナザレンの石

田学さんのものが参考になります。特に石田学さんの『日本における宣教的共同体の形成~使徒

条の文脈的注解~』は、問題意識が明快です。ただ「宣教共同体の形成」と言われように、「教会

形成」を前提にしていますが、出発点として、教会形成を前提にしてよいのかどうかという問題は

感じます。

・宣教論と共に日本基督教団の成立の問題について書かれているものを読んでいます。特に天皇

キリスト教についてです。今は土肥昭夫さんの『天皇とキリスト~近現代天皇制とキリスト教

教会史的考察』を読んでいます。この本の中に燈台社の明石順三のことが記されているところがあ

ります。彼は戦時下天皇制に対する不服従を貫いた人物です。法廷での明石の陳述の記録による

と、<裁判長「然らば被告は燈台社運動継続中に於いては天皇陛下及び皇族の尊厳性を認めておっ

たか」被告「尊厳神聖と云う事は全然認めません。」裁判長「天皇陛下の御地位に就いてはどうか

ね」被告「天皇の御地位等は認めません。」(明石がもしこのとおりにいったとしたら、天皇「陛

下」といわなかったところは極めて重大である。水平的思考が彼のものとなっているからであ

る)。><被告「私は日本の皇室を又日本人を愛しております此の愛する皇室を又日本人を日本国

家を救わんが為に警告をして来たのであります。然るに現在の日本の進んでおる道は滅亡の道で

す。此の滅亡の道から日本を救わんが為に証言宣明行為をしてきたのです。」明石は自己のキリス

ト教的立場が少数者のものでしかありえないことを知っていた。さらにたてまえにせよ、ほんねに

せよ、天皇制が一億の日本国民を包摂していることを知っていた。だからこそ、彼はいう。「私が

今迄に申上げた真理は神の言葉です絶対に間違い有りません。現在私の後について来ている者は四

人[彼の夫人、二人の朝鮮人、女性伝道者]しか残っていません私共に(ママ)五人です。一億対五人

の戦いです一億が勝つか五人が言う神の言葉が勝つか其れは近い将来に立証される事で有りましょ

う、其を私は確信します此の平安が私共に有る以上其以上何も申し上げる事は有りません。」>

(上記土肥さんの本より引用)。

・この明石順三の陳述にみられる、「さまざまな権力、組織、世論にまどわされない、物静かな

眼」(土肥)には感動を覚えずにはいられません。土肥さんは、この明石順三の批判の目は、「特

定のイデオロギーを基礎としたものではなく、民衆の視座に立つものである」と言っています。こ

のような明石順三の姿勢とその生きざまからすると、日本基督教団の成立から戦時下の日本基督教

団にあって指導的な立場にいた人たちの振舞いは惨憺たるもののように思えてなりません。私たち

はその歴史を引き継いでいる者たちです。この事実と向かい合わずに、日本基督教団の宣教論を打

ち立てることはできません。