黙想と祈りの夕べ通信(335)復刻版を掲載します。2006年2月のものです。
下記に記されています野宿者の現状は8年前の状況ですが、現在でも基本的には変わっていません。
確か寿で炊き出しがはじまったのが、1992,3年頃だったと思います。すでに20年間が経過していま
す。野宿者も、90年ごろまでは神奈川県では横浜や川崎のような大都市に限られていましたが、90年代終
わりごろからは小田原、平塚、藤沢、横須賀、相模原などのような中堅都市に広がり、現在では神奈川全
県に広がっています。最近の報告では、若い人が野宿を余儀なくされて路上生活者になったときに、公
的・私的支援の情報をほとんど知らない人もいるようです。私が1974年から1977年まで紅葉坂教会の伝道
師だったころ、教会の1階部分に家族で住んでいましたが、ほとんど毎日のように仕事にあぶれた比較的
若い人や壮年の人が教会に食べ物やお金をくれと言って、来ていました。どこへ行けば支援を受けられる
かという情報をよく知っている人が多かったように思いました。1970年代は、まだ日雇い労働をする働き
場がありましたので、体力のある人はなんとかしのげたのではないかと思います。しかし、1995年に紅葉
坂教会の牧師として横浜に帰ってきてからは、教会に物やお金をもらいに来る人はめずらしくなり、一月
に数回になっていました。そして教会に来る人は、本当に困っている人か、キリスト者の倫理観を逆手に
とる知恵のある人でした。この20年間で、さらに様相が変わり、寿地区に集約されていた社会の矛盾が社
会全体に広がっているように思われます。
黙想と祈りの夕べ通信(335[-22]2006・2.26発行)復刻版
最近書店で『〈野宿者襲撃〉論』という本を見つけ、購入して読んでみました。いくつか気づかされた
点がありました。その一つは、1973年のオイルショック以降日雇い労働者が仕事にあぶれるようになっ
て、ドヤ代が払えず、野宿せざるを得なくなるということがある。この場合は、日雇い労働者の街寄せ場
の周辺での野宿が多かった。しかし、90年代後半以降は日雇い動労者が野宿労働者になるというのではな
く、日雇い労働者ではないサラリーマンがリストラで野宿を余儀なくされるとか、家にいられなくなった
人が野宿するようになったというケースが多くなっています。若い人も女の人も、時には家族で、野宿と
いうこともあります。しかも、寄せ場周辺だけではなく、神奈川県ならば、全県に広がってきています。
この背後には日本社会の変容があるように思われます。一時期は総中産階層化と言われ、日本人の90パ
ーセント以上が中流だと言われました。その頃と比べますと、現在は格差が広がって、文字通り勝ち組負
け組という二分化が進行しています。上記の本では、そのことを日本やアメリカや欧州のような第一世界
の中に内在する第三世界というように見ています。なるほど、と思いました。アメリカなどではすでにも
う大分前からそのようなことが起こっており、野宿者も日本とは比べられないほど多いそうです。そうい
う貧困層の社会は治安が悪くなるので、ゲイテッド・コミュニティーを作って富裕層だけの生活空間を持
ち、そこに貧困層の人は入れないという監視社会が作られているというのです。アメリカの後追いをして
いる日本社会ですから、同じことが起こらないともかぎりません。そうだとするならば、私たちは、社会
から切り捨てられた人々の命と生活を守っていかなければならないと思いました。
(以下省略)