なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

使徒言行録による説教(63)

             使徒言行録による説教(63)使徒言行録17:10-15

使徒言行録によってパウロの伝道旅行の記事を読んでいますと、パウロらによってなされたイエスの福音宣教という業が、テサロニケの町にそしてベレアの町に一つの変革を起こしているということを知ることができます。しかもその福音宣教による変革には、必ず騒動やパウロらへの迫害が付随して起こっているのであります。

・テサロニケでも、パウロらの福音宣教によって、町に一つの騒動が起きたことを伝えています。それはテサロニケだけでなく、これまでパウロが宣教したところでは、どこでも同じような騒動や迫害が起きたことを、使徒言行録は記しています(ピシディアのアンテオケ、イコニオン、リストラ、フィリピ、などで)。今日読んでいただいた使徒言行録の17章10-15節はベレアという町での出来事が記されていますが、ここでは、ベレアの町の人たちからではなく、わざわざテサロニケからやっていきたユダヤ人たちによって、やはり騒動が起こっております。

・このことは、この福音宣教による変革と騒動ないしは迫害は、イエスの出来事としての福音が伝えられるところでは、どこでも多かれ少なかれ起こるということを意味しているのではないでしょうか。

福音書が伝えるイエスの活動もまた、同じように見ることができます。バプテスマのヨハネがヘロデ・アンティパスによって捕えられたことを知ったイエスは、生まれ故郷のナザレを出て、がリラヤの町や村を巡り歩いて、「神の国は近づいた、悔改めて福音を信ぜよ」と宣べ伝え、病気を癒し、悪霊に憑かれた人から悪霊を追い出して、神の国の到来を告げ知らせました。イエスのもとに、当時のユダヤ教では罪人、汚れた者としてユダヤ社会の構成員としては認められず、門外の人として苦しむ沢山の人々が集まりました。イエスは彼ら・彼女らと共に生きることによって、正統を名乗るユダヤ人たちからは排撃されるようになりました。最後には、ローマの官憲である総督ピラトも加わって、イエスは十字架につけられて殺されてしまいました。

・この福音書が伝えていますイエスの活動にも、彼が宣べ伝えた神の国の福音によって、人々の中に変革と共に騒動・迫害が付随して起こったと言えるではないでしょうか。

・イエスファリサイ派の人々や律法学者との論争において、彼らに対して、「あなたがたたちは神の掟を捨てて、人間の言い伝えを固く守っている」(マルコ7:8)と言って、更に、このように言われたと言います。「あなたたちは自分の言い伝えを大事にして、よくも神の掟をないがしろにしたものである。モーセは『父と母を敬え>と言い、『父または母をののしる者は死刑に処せられるべきである』とも言っている。それなのに、あなたたちは言っている。『もし、だれかが父または母に対して、『あなたに差し上げるものは、何でもコルバン、つまり神への供え物です』と言えば、その人はもはや父または母に対して何もしないで済むのだ』と。こうして、あなたたちは、受け継いだ言い伝えで神の言葉を無にしている。また、これと同じようなことをたくさん行っている』」(マルコ7:9-13)と。

ファリサイ派の人々や律法学者たちは、当時のユダヤ社会において民衆の指導者でした。彼らは父祖からの言い伝えを守って、ユダヤ社会の伝統にしっかりと立っていたのでだと思います。そのようなファリサイ派や律法学者に対して、「あなたがたは人間の言い伝えに固執して、神の言葉を無にしている」とイエスは糾弾の言葉を投げかけたというのです。当然イエスの言葉を受け入れる者と拒む者があったに違いありません。それまで偽りの平和であったとは言え、人々の中には一つの安定した秩序が支配していて、その支配によって差別を受けていた犠牲者はいましたが、表面上ユダヤ社会はそれほどの混乱は起こりませんでした。ところが、イエスの言行は、偽りの平和の覆いを真実によって取り払いますから、真偽が明らかとされて、人々に決断を促します。真実である神の言葉に立つのか、偽りの人間の言い伝えに安住するのかと。イエスに従う者と、それを拒む者との間には、当然亀裂が起こります。イエスは、時にはその村や町の人から出て行ってくれと言われ、追い出されたこともありました。

・そういう意味では、イエスの宣教活動とパウロの宣教活動には、共通するものがあるように思われます。それは、人々の生に悔改め(メタノイア)=方向転換を求めるがゆえに、信じて変革される者と変革を拒否し抵抗、反発する者が生まれ、そこに騒動が起きるのです。その結果、宣べ伝えた者への攻撃、迫害へと発展するということも起こります。それでも、福音宣教の業を続けて、最後にはイエス場合は十字架刑に処せられます。パウロユダヤ人からの反発・憎悪によって最後まで苦しみますが、ローマ市民として皇帝に上訴して、ローマに行き、ローマで殉教の死を遂げたと言われます。

・さて、使徒言行録に戻りますと、パウロとシラスは、テサロニケでの迫害を同信の者たちに助けられて逃れ、ベレアの町にやってきます。テサロニケとベレアの距離は78キロほどといわれます(田川、人によっては98キロとも88キロとも言われる)。「二人はそこ(ベレア)に到着すると、ユダヤ人の会堂に入った」(10節)と言われていますから、二人は、懲りずにこの町でもユダヤ人の会堂を拠点にしてイエスの十字架と復活の福音を宣べ伝えたと思われます。ベレアのユダヤ人は、「テサロニケのユダヤ人より素直で、非常に熱心に御言葉を受け入れ、そのとおりかどうか、毎日、聖書を調べていた」(11節)と言われます。このところの新共同訳はユダヤ人の従順な態度を強調している訳になっていますが、実際のギリシャ語はもう少し中立的です。「素直」と訳されている言葉は、直訳すると「生れが良い」(田川)で、ここでは、「何となく、『品がいい』といった程度の意味で用いられている」(田川)言われます。他の日本語の訳を見ますと、「良い人たちで」(改訳)、心が広く」(フラ)、「立派で」(前田)、「心の気高い人たちで」(柳生)、「上品で」(本田)などとなっています。また、新共同訳の、御言葉を「受け入れ」も、ギリシャ語は「受ける」という言葉で、「『受け入れる』というと、積極的にその立場に同意する、という意味になってしま(いますが)、しかしここではまだ単に、話を真面目に聞いた、というだけのこと」(田川)です。ですから、この新共同訳の「御言葉を受け入れ」も「御言葉に耳を傾け」というくらいの訳が適切だとされています。

・何れにしろ、ベレアの町のユダヤ人の中から、「そのうちの多くの人が信じ、ギリシャ人の上流階級の婦人や男たちも少なからず信仰に入った」(12節)と言われていますから、パウロの宣教活動によって、ベレアの町には、キリスト者の群れである教会が順調に誕生したと思われます。後にこのベレアの教会を代表して「ピロの子でベレア出身のソパトロ」という人物が、パウロエルサレム行に同行しています(20:4)。そのことは、パウロとべレアの教会の関係の深さを表すものと言えるでしょう。

・ところが、そのベレアの町に、テサロニケからユダヤ人がやってきて、群衆を扇動して騒がせて、パウロを何とか捕まえて、町の役人に引き渡し、牢に入れようと画策したと思われます。それに対して、同信の兄弟たちは、彼らの追及の手からパウロを逃がすために、「直ちにパウロを送り出して、海岸の地方へ行かせた」というのです。ベレアは、内陸部にありますので、パウロを海から船でアテネ方面に逃がすつもりだったのかもしれません。しかし、どういうことがあったのかはわかりませんが、「パウロに付き添った人々は、彼をアテネまで連れて行った」というのです。おそらく海岸線を走っているローマの軍道エグナティア街道を300キロ以上歩いてアテネまでパウロに同行したということなのか(ベレアからアテネまでは350キロある。NTD)、海路船で行ったということなのかでしょう。パウロアテネに着いたとき、彼をアテネに連れて行った人々は、ベレアに残っているシラスとテモテにできるだけ早く来るようにというパウロからの指示を受けて、ベレアに帰って行ったというのです。

・このように何度も何度も苦難を受けながら、へこたれることなく、その苦難を逃れて、また新しい町に着くと、パウロが、苦難を受けることになる福音宣教の業を繰り返したのは何故でしょうか。復活の主イエスとダマスコ途上で出会う前のパウロは、ファリサイ派の律法学者として、ユダヤ人社会の中で人々から尊敬されている学者の道を歩んでいました。その律法学者の道を貫いていれば、パウロユダヤ人から苦難を受けることなく、名誉ある職を全うし、最後まで立派な律法学者として尊敬されたに違いありません。

・しかし、パウロの魂は復活の主イエスに出会って、霊的な目覚めを経験したのではないでしょうか。私が生まれてきたのは何のためなのか。何のためにこの自分に神は命を与えてくださったのか。そういう人間としての人格の核心への問いに対する答えを、パウロは復活の主イエスによって与えられたのでしょう。フィリピの信徒への手紙の中で、パウロはこのように述べています。

・「わたしは生まれて八日目に割礼を受け、イスラエルの民に属し、ベニヤミン族の出身で、ヘブライ人の中のへブライ人です。律法に関してはファリサイ派の一員、熱心さの点では教会の迫害者、律法の義については非の打ちどころのない者でした」(3:5~6)と、自分の出自の良さとユダヤ教徒としての誇りを述べてた後に、このように記しているのです。

・「しかし、わたしにとって有利であったこれらのことを、キリストのゆえに損失と見なすようになったのです。そればかりか、わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失とみています。キリストのゆえに、わたしはすべてを失いましたが、それらを塵あくたと見なしています。キリストを得、キリストの内にいる者と認められるためです。・・・わたしは、キリストとその復活の力を知り、その苦しみにあずかって、その死の姿にあやかりながら、何とかして死者の中からの復活に達したいのです」(3:7-11)と。そして、更にこのようにも記しているのです。

・「わたしは、既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者となっているわけでもありません。自分がキリスト・イエスに捕えられているからです。兄弟たち、わたし自身は既に捕えたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上に召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです」(3:12-14)と。

・これで、パウロがなぜ苦しみを受けても、福音宣教の業を投げ出さなかったかがわかると思います。

キリスト者である私たちは、イエスの福音による神の慰めと励ましを祈り願いますが、同時に神の国の実現を祈り願い、そのために働く者へと神に召されていることを見失ってはならないと思います。それが私たちにとっての宣教の業ではないでしょうか。

・人間の驕りにより、様々なところで破綻をあらわにしている今日の社会の中で、私たちは主イエスに捕えられた者として、神の国の実現成就にそのすべてをささげられた主イエスに倣って、神のみ心にふさわしい正義と平和と喜びに満ち溢れる社会である神の国を望み見て、この社会の中での人と人とのかかわりを生きていきたいと願います。

・このゴールデン・ウイークに行われる福島の家族の保養プログラム、リフレッシュ@かながわにボランティアとして参加する方も、この中にはいらっしゃると思います。また参加できなくでも、みなさんはいろいろな形でこれを支援してくださっていると思います。このような小さな営みにも、私たちは正義と平和と喜びに満ち溢れる社会の実現を求める祈りと願いが込められていることを信じます。たとえ困難や苦しみが伴うとしても、このような小さな業の積み重ねを投げ出すことなく続けていくことが、私たちに与えられている課題ではないでしょうか。

・自分が変わることによって世界が変わることを信じて、イエスの福音による自己変革を求め続けていきたいと願います。