なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

使徒言行録による説教(70)

       使徒言行録による説教(70)使徒言行録19:1-10
       
・今日の使徒言行録の出来事があったと言われますエフェソという町は、コリントと同じく、その

地理的状況ゆえに、重要な都市となりました。エフェソは、陸に深く切り込んだ、しかし船は入り

やすい港に面し、小アジア内陸に向かう重要街道の出発点でありました。この年は小アジア海岸地

域のギリシャ人植民地の中でも最も重要な植民都市へと成長し、ローマ人によってアジア州の首都

と定められました。そしてこれは、州の最高裁判所の長官が兼任する総督の単なる所在地だけでは

なく、元老院と民会によって執行される、ある程度の自治権をも持つ都市でありました。住民はコ

リントの場合と同じように、混ざり合っていました。もともとギリシャから来た人々が多かったが、

オリエント人、特にユダヤ人も多くいたところです。またコリントと同じく、単なる商品の重要な

積み替え地ではなく、諸文化、諸宗教のるつぼでもありました。特に使徒言行録でルカは、魔術と

エフェソのアルテミス神殿の祭儀について触れています。その神殿は市中でも最も有名な建築物で

ありました。

・ そのエフェソに、パウロは第二伝道旅行の帰途に立ち寄って、会堂でユダヤ人と論じ合い

ましたが、その滞在期間は短く、<人々はもうしばらく滞在するように願ったが、パウロはそれを

断り、「神のみ心ならば、また戻って来ます」と言って別れを告げ、エフェソから船出した」

(18:20,21)と言われています。そのエフェソにパウロが再びやってきたときに、エフェソのイエ

スを信じる信徒の中には(19章2節の「何人かの弟子に出会い」の「弟子」は信徒を意味する)、

エスの名による洗礼も聖霊も受けていない人たちがいたということが記るされています。しかし、

ヨハネの洗礼は受けていたというのです。

・これは、アレキサンドリア生まれのアポロについて、「彼は主の道を受け入れており、イエス

ことについて熱心に語り、正確に教えていたが、ヨハネの洗礼しか知らなかった」(18:25)と言わ

れていましたが、このアポロの場合と同じです。アポロの場合は、そのアポロが会堂で大胆に教え

始めたのを知って、プリスキラとアキラは、彼を招いて、もっと正確に神の道を説明した(18:26)

と言われていますが、アポロはイエスの名による洗礼を受け、聖霊を授けられたとは記されていま

せん。

使徒言行録のこの二つの記述から考えられることは、エフェソにはパウロによらない非パウロ

の信徒の人数が増えていたという事実ではなかと思われます(田川健三)。つまりエフェソには、

さまざまな流れのイエスを信じる信徒がいたということではないでしょうか。

・アポロも「イエスのことについては熱心に語り、正確に教えていた」と言われていますように、

パウロもアポロも、イエスの福音の宣教においては、その内容においてそれほどの違いはなかった

ものと思われます。けれども、エルサレム教会の律法から自由ではないユダヤ主義的な福音理解に

対しては、パウロは明らかに自分の宣べ伝えている律法から自由な福音とは異なるものであると考

えていました。ガラテヤの信徒への手紙における論争からそのことを知ることができます。

・つまり、パウロがイエスの福音の宣教のために伝道旅行をしたときには、既にイエスを信じる信

者の中にも多様性があって、中には相反する福音理解の信者も生まれていたということではないで

ようか。後の教会で大きな問題になっていく正統と異端、或は分派の問題がすでにパウロの時にも

内在していたということです。

・今日の使徒言行録の記事によりますと、イエスの名による洗礼も聖霊についても何も知らなかっ

た非パウロ系の信徒がパウロによって洗礼を受け、聖霊を与えられたことが記されていますから、

使徒言行録の著者ルカは、ある意味でパウロ系の信仰が正統なものであるという考えに立って、最

初期の教会の歴史を描いているものと思われます。

・高橋三郎さんは、<ある種の分派と見るにせよ、あるいはより厳しく異端と呼ぶにせよ、パウロ

はそういう人々を真のキリスト教信仰へと導き、共に聖霊にあずかる者としての一体関係が、こう

して実現したというのが、ルカの意図する趣旨であろう>と言っています。つまり、<まことのキ

リスト教信仰における真の一致が、パウロの手で実現したことを、エフェソにおける最初の出来事

としてルカが提示したことになる>というのです。

・確かに使徒言行録の著者ルカは、この19章前半のエフェソにおけるパウロの活動において、<ま

ことのキリスト教信仰における真の一致が、パウロの手で実現した>と言おうとしているのかもし

れませんが、では<まことのキリスト教信仰における真の一致>とは、イエスの名による洗礼を受

け、聖霊を受け異言や預言を語ることなのでしょうか。

・洗礼を受け、聖霊を受けているという信仰者が、現在安倍政権が進めている集団的自衛権を容認

するということもあり得ます。ある人が、「われわれが今とることを許されている態度、すなわち

武器を手中にしながらそれを行使しない国家の上には祝福があるにちがいない。この事に対して我

々は神に感謝しよう」と言っていますが、現在の憲法を持っている日本の国は、まさしく武器を行

使しないことを約束しているのではないでしょうか。洗礼はイエスへと結び付けられることであり、

聖霊は父なる神と子なるイエスの霊であって、私たちを神のみ心とイエスに従う者にする命の力で

す。そのような内実が伴わなければ、洗礼も聖霊授与も、何の意味もないでしょう。

キリスト教信仰における真の一致というのではなく、イエスとイエスの生き様、死に様にあずか

ることにおいて私たちが一致することができるときに、はじめて信仰における一致があるのではな

いでしょうか。

パウロの語ったこと、なしたことには、確かにイエスの生き様、死に様にあずかるものが多かっ

たに違いないかも知れませんが、パウロの奴隷や女性に対する考え方には、まことの信仰者とは言

えないものがあるように思います。そういうことからすれば、パウロが、<まことのキリスト教

仰における真の一致>を実現したというのは、言い過ぎではないでしょうか。

・神と神のみ子イエス以外にまことは、どこにもありません。神が私たちすべての者を、信仰者で

あろうと、そうでない者であろうと、かけがえの無い者として、その独り子イエスを私たちに遣わ

し、私たちを極みまで愛し給う、その神の愛と真実にこそ、私たちの信仰における一致があるので

はないでしょうか。それは、神の確かさへの信頼であって、その信頼によって歩む信仰者にとりま

して、信仰の一致とは、神にある一致を信じるがゆえに、一致を求めて、誰一人排除しないで、対

話していくことではないでしょうか。

・さて、<それから、パウロは会堂にはいって、三ケ月間、神の国のことについて大胆に論じ、人

々を説得しようとした>(19:8)と記されています。

・ここでは、パウロの宣教の内容が「神の国のことについて」であると言われています。今までは

「メシアはイエスである」とパウロが語ったと言われていたり、ただ「ユダヤ人と論じ合った」と

言われています。しかし、パウロの宣教活動の要約を「神の国」としている箇所も、この他にも、

14:22や28:23に出てきます。ですから、パウロの福音伝道は「神の国=神の支配」の宣言にほかな

らなかったのです。そして今までとは違って、3か月間も、外からの妨害を受けることなく、パウ

ロが伝道を自由に続けることができたのは、異例のことでした。けれども、反対者との衝突は、

このエフェソでも避けることができませんでした。

・<しかし、ある者たちが、かたくなで信じようとせず、会衆の前でこの道を非難した>(19:9a)

と言われている通りです。パウロの「神の国=神の支配」の宣言としての福音伝道は、「人が義と

されるのは、律法の行いによるのではなく、信仰によるのである」(ローマ3:28)のであり、神の

支配はユダヤ人に限られることなく、全ての人に及ぶというものだったと考えられます。そのある

意味での福音の持つ普遍性が、ユダヤ人の偏狭な民族主義的な考え方と衝突したのではなないかと

思われます。

パウロは、そのようなユダヤ人の拒絶を受けて、<パウロは彼らから離れ、弟子たちをも退かせ、

ティラノの集会所(ティラノという人の講堂)で毎日論じた>(19:9b)と。その結果、<このよう

なことが2年も続いたので、アジア州に住む者は、ユダヤ人であれギリシャ人であれ、だれもが主の

言葉を聞くことになった>(19:10)と言われているのです。

・この使徒言行録の記述によりますと、エフェソでは、パウロらはユダヤ人から拒絶されはしました

が、それ以上の、力による排除のようなことはなかったと思われます。ユダヤ教の会堂からティラノ

の集会所に場所を移して、パウロの宣教活動が続けられたというのです。これが事実とすれば、エフ

ェソではユダヤ教パウロらのキリスト教が共存してその活動が続けられていたということになりま

す。また、ユダヤ教の会堂の時は、パウロは週一回の安息日での宣教活動ですが、ティラノの集会所

では、毎日パウロの宣教活動が行われたと思われます。写本の中には、パウロは「午前11時から午後

4時まで」と記されているものがありますので、これが事実だと、毎日5時間宣教活動をつづけたとい

うことになります。ただこの時間は、昼寝を含めて、みんなが休む時間帯だと言われていますが。し

かもユダヤ教の会堂は宗教施設ですが、ティラノの集会所は、特別な宗教施設ではなかったかと考え

られますので、ユダヤ教の会堂以上に、ティラノの集会所でのパウロの宣教活動は、広く人々に開放

されていたと考えられます。それが<二年も続いたので、アジア州に住む者は、ユダヤ人であれギリ

シャ人であれ、だれも主の言葉を聞くことになった>と言われており、ルカは、ここに人知を超えた

神の御業をみていたのでしょう。

・私たちもイエスの福音を信じ、イエスの福音によって生きることに徹していきたいと思います。

私たちのできることは、イエスとイエスの福音による人間の解放にこそ希望があることを、この厳

しい時代と社会の中で証言することに尽きるからであります。主がその希望を、私たちから奪い去

ろうとするあらゆる悪しき試みと誘惑にも拘わらず、私たちの魂に根付かせてくださいますよう

に!。アーメン