なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(446)復刻版

 黙想と祈りの夕べ通信(446)復刻版を掲載します。2008年4月のものです。

 
       黙想と祈りの夕べ通信(446[-28]2008・4・13発行)復刻版


 今私は教師退任勧告を受けていますが、その山北議長及び常議員会による私への勧告を支持する

教会やグループがあります。教団の中には長老主義を標榜するグループがありますが、その中の連

合長老会というグループはグループとしてもそのグループに所属する個教会としても勧告への支持

声明を出しています。それとは別に教団の中には福音主義教会連合というグループが1975年ごろに

出来て現在でも活動しています。その福音主義教会連合でも私の勧告への支持声明をだしたという

ので、福音主義教会連合の現在の議長で、東京神学大学在学時代に途中まで同級生であった銀座教

会の牧師長山信夫さんから、その声明を直接渡したいからと7日の月曜日に電話がありました。最初

は会っても仕方ないからと断ろうと思いましたが、折角来てくれるというので、中華街で一緒に食

事をしました。彼は在学中1年休学したために、東神大の機動隊導入の時大学院2年生でした。私た

ちの学年は既に教会で働き始めていましたので、機動隊導入の時には東神大に在籍していませんで

した。東神大の機動隊導入と教授会による全学年の半数近い約70名の学生の除籍という東神大闘争

をめぐって、長山さんと私は立場を異にしてきました。今もそうです。今回会ってそういう話も少

しはましたが、主に旧友のことなど雑談で2時間半ほど一緒に過ごしました。彼は教団の中で福音

主義教会連合が正統な教会形成をしていると自負しているようでした。福音主義教会連合や連合長

老会の人たち及び東神大教授会との基本的な違いは歴史認識にあると、前々から私は思っています

。東神大闘争の頃、東神大教授会の神学は状況捨象の神学とか全共闘の学生からは「死せる言葉の

終焉」と言われました。田川建三さんは直接東神大教授会ではありませんが、キリスト教批判とし

て「現実と観念の逆転」(現実が観念に、観念が現実に)と言いました。その批判は今でも妥当し

ていると私は思っています。聖餐の論議においても、世に仕える教会、現実の歴史社会の中にある

教会を射程に入れているとは思えません。神学校を出てから40年近い時間が経過しています。学生

時代にはそんなにはっきりとした違いは感じらなかった彼と私ですが、今は随分歩む方向が違って

いるように思いました。

 上記の私の発言に続いて以下の発言がありました。今日のナウエンの「謙虚にかつ自信をもって」

の後半部分に共感した。「謙虚でありながらかつ自信をもち、ユーモラスにかつ真剣に、遊びなが

らもかつ責任をもって、私たちはこのどちらにもいられるような方法を探し続けなければなりませ

ん」。朝日新聞アエラという週刊誌にキリスト教の牧師から性的虐待を受けた女性の記事が載っ

ていた。その記事には三つの教団(聖公会、ホーリネス教団、日本基督教団)の事例が載っている。

教区の性差別問 題特別委員会の委員としても重く感じている。神奈川教区でもセクシュアル・ハ

ラスメント相談窓口をつくるということが決議されていて、常置委員会で議題になっているが、な

かなか具体化できないでいる。性的虐待はそれを受けた女性にとっては非常につらく、自分自身を

消してしまいたいと思う程の痛みを感じるものだ。男性の方は それ程には感じないかも知れない

が。牧師から性的虐待を受け続けていた娘が自死したときに、その娘の顔が苦しみから解放されて

いたと母親が言っている。それなのに男性の方は 堂々と生きているわけだ。このことに関しては

神のユーモアはない。テレビで小さい時から父親に性的虐待を受けて、言えないでいる女の子のこ

とが放映されていた。こんな酷いことが何時まで続くのかと思うと、ぞっとする。解決の道は何か。

自分自身取り組むことがあれば、真剣に取り組まなければと思わされた。ナウエンの言葉に返ると

これができないほど痛んでいる人があることを思う。痛みわけの出来ることを出来るだけ行いたい。
           

         「羊飼いと羊たち」      4月13日


 霊的な指導者であることは良い羊飼いとしての指導者となることです。イエスが言われたように、

良き羊飼いは自分の羊を知っており、羊たちもまた羊飼いを知っています(ヨハネ10:14参

照)。羊飼いと羊の間には相互の関係がなければなりません。良き指導者は自分に従う人々を知っ

ており、従う人々は自分たちの指導者を知っています。指導者と指導者に従う人々との間には、相

互の信頼、相互の率直さ、相互の思いやり、相互の愛が存在します。指導者に従うには、指導者を

恐れていては出来ません。また私たちに従う人々を導くには、従う人々の励ましと支えを必要とし

ます。

 指導者と指導者に託されている人々との間にあるべき愛に満ちた信頼関係を示すために、イエス

ご自分を良き羊飼いと呼ばれました。そのような親しい関係がないなら、指導者は単に厳しいだけの

ものとなります。 

  
                 (ヘンリ・J・M・ナウエン『今日のパン、明日の糧』より)