なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

使徒言行録による説教(61)

       使徒言行録による説教(61) 使徒言行録16:35-40

使徒言行録の今日の個所は、パウロらがフィリピにやってきて、そのフィリピでの出来事が語られている最後のところです。もう一度、この使徒言行録が伝えているパウロらにフィリピの町で起こった出来事を振り返っておきたいと思います。

パウロらは、現在のトルコ領土内になるアジア州でもピシディア州でもその宣教の働きができず、トロアスに留まっていた時に、パウロは幻を見て、現在のギリシャ領土内の「マケドニア州に渡って来て、わたしたちを助けてください」と言う一人のマケドニア人の願いを聞いて、「マケドニア州の第一区の都市で、ローマの植民都市であるフィリピ」にやってきました。パウロらはこのフィリピの町には数日間滞在したと記されています。

パウロの福音宣教によって、高価な紫布を商うリディアという婦人が家族の者共々洗礼を受けてキリスト者になり、フィリピの町に信仰者の集まりである教会が誕生します。おそらくこのリディアがフィリピの教会の中心的な人物になっていったのではないかと思われます。その後パウロらは、占いの女と出会い、彼女から霊を押し出して正気にさせます。するとこの占いの女によって金儲けしていた女の主人たちが、パウロとシラスを捕まえて、フィリピの町を治める高官に引き渡して、二人がローマ人が受け入れることのない風習を宣伝していると、群衆も一緒になって二人を責め立てます。この騒動を見て、フィリピの高官(執政官)は、二人の衣服をはぎ取り、鞭打ちを命じ、二人は何度も鞭で打たれて、牢に投げ込まれてしまうのです。

・ところが、真夜中に突然大地震が起きて、牢の扉が開き、すべての囚人の鎖も外れてしまいます。看守は目を覚まし、牢の戸が開き、囚人たちが逃げてしまったと思いこみ、剣を抜いて自殺しようとします。その時、パウロは大声で看守に、「自害してはいけない。わたしたちは皆ここにいる」と叫び、看守の自害をとどめます。そのことがあって、真夜中でしたが、看守はパウロから家族と共に洗礼を受け、パウロとシラスを自分の家に連れて行き、二人に食事を出し、神を信じる者になったことを家族ともども喜んだというのです。

・これが、フィリピの町におけるこれまでのパウロとシラスの上に起きた出来事の推移です。今日の使徒言行録の個所は、その続きになります。35節の最初に「朝になると」と記されています。前日には、騒動とパウロとシラスの鞭打ち、投獄がありました。その夜に起こった出来事については全く知らずに、フィリピの高官は部下に命じて、パウロらの釈放を告げさせます。鞭打ちと一晩の留置で二人への懲らしめは十分と、高官は判断したものと思われます。しかし、その釈放の通告を受けたパウロは、こう開き直ったというのです。「高官たちは、ローマ帝国の市民権を持つわたしたち(パウロとシラス)を、裁判もかけずに公衆の面前で鞭打ってから投獄したのに、今ひそかに釈放しようとするのか。いや、それはいけない。高官たちが自分でここに来て、わたしたちを連れ出すべきだ」(37節)と。当時ローマの市民権を持つ者には、特別な法的保護が与えられており、裁判抜きで投獄したり、鞭打つことは禁止されていたと言われます。ですから、フィリピの高官はこの掟を破ったことになります。パウロはそのことをここで指摘しているわけです。

・なぜパウロは、騒動が起きた時に、鞭打たれる前に二人がローマの市民権を持っていることを言わずに、釈放のときに言ったのかということで、注解者はいろいろと説明しています。中でも田川健三さんの解釈は際立っています。パウロは、この次に捕まったときには、鞭打たれる前に自分がローマ市民であることを宣言して、鞭打ちを避けています。22章24節以下にはそのように記されています。そのところとここでのパウロのやり口の矛盾を指摘した上で、「もっともパウロのことだから、ここではとりあえず黙って鞭打たれて、後になってプラエトル(新共同訳「高官」)に文句をすければ、プラエトルは慌てて詫びて、町を出るに際して金一封の餞別でも渡すだろうという計算ぐらいはあっただろうか。パウロならその程度の知恵を働かすだろう。何せこの人、伝道旅行を続けるための資金を得るのに苦労していた」(田川『使徒行伝』463頁)。

・こういう解釈は田川さんだけです。多くの注解者は、騒動の時にパウロは自らローマの市民権を持っていると言ったが、聞えなかったとか、ここでわざわざローマの市民権を持ちだしたのは、フィリピの町に誕生した教会の会員たちを守るためだと、解釈しています(ブルース)。「先に抗議することをしなかったパウロたちが、何故この時になって抗議するようになったのかという疑問も生じる。もちろん単なる報復ではない。また正義の主張(竹森満佐一)ということだけでもなかったであろう。おそらくパウロは、このようにしてフィリピの町につくられたイエス・キリストの教会~実際にはごく少人数のキリスト者の群れであっただろう~のことを配慮して、官権によってあまり不当な扱いを受けることがないように考えての行動に出たのではないだろうか」(雨宮栄一『説教者の為の聖書黙想、使徒行伝』234頁など)

パウロらがローマの市民権を持っているということを、部下から聞いた高官は恐れて、二人の下に出向いて詫びを入れ、二人を牢から連れ出し、町から出て行くように頼んだ(38,39節)というのです。二人は、牢から出て、リディアの家に行って、二人の働きによってキリスト者になった人たちに会い、彼らを励ましてからフィリピの町を出て行きました(39節)。

・この使徒言行録の著者ルカの描くパウロとシラスのフィリピの町での宣教活動から、ルカは何を語ろうとしているのでしょうか。一つは、「福音宣教はその担い手の労苦を必要とする」ということではないかと思います。フィリピの町でのパウロらの宣教活動によって、そのパウロらの宣教が「ローマ人の受け入れることのできない風習を宣伝している」というように受け取られて、その結果パウロらが訴えられ、鞭打ちを受け投獄されることになったと、使徒言行録には記されています。福音宣教によってその担い手であるパウロらが苦しみを担うのです。

・このことは現在でも私たちキリスト者にとっての事実ではないでしょうか。例えば、船越教会には学校教師の方がお二人いますが、日の丸・君が代の問題は、とくに学校現場では悩ましい問題ではないかと思うのです。キリスト者であり、或いは日ノ丸・君が代が日本の侵略戦争での犠牲者に与えた影響を考える歴史認識を持つ者や、国家の枠組みを開いて人類共同体をめざす思想の持ち主などが、その信仰や自分の思想に忠実に従ってこの日本社会の中で生きようとするならば、それを許さない現実の力に耐えなければなりません。イエスの福音に立ち、イエスに従って生きようとするが故に、苦しみに耐えなければならない局面にキリスト者は立たされることがあるのです。牧師だけでなく信徒も福音宣教の担い手ですから、フィリピの町でパウロとシラスが受けた労苦に、二人と同じではありませんが、私たちも与っているのです。

・時々長年キリスト者として生きてきた方から、自分がキリスト者でなかったら、悩まなくて済んだことも多くあったということを聞くことがあります。そのような言葉の中には、キリスト者としてのアイデンティティーをこの日本の社会の中で貫くことの困難さがにじみ出ているように感じます。しかし、同時のそのように語る方の存在からは、キリスト者として生きて来れたということを感謝していることが伝わってもきます。不思議なことです。

・それは、フィリピの町で、福音宣教の労苦の故に、パウロとシラスが鞭打たれ、投獄されて、人間的には行き詰まり、窮地に陥るわけですが、不思議とそこから解放されていくのです。行き詰まりと不思議な解放という二重性を二人は生きているわけです。使徒言行録の著者ルカは、この不思議な解放の業に神の介入を見ているのです。ルカは、最初期の教会の歴史として使徒言行録を書いていますが、使徒言行録は聖霊行伝と言われていますように、最初期の教会の歴史を担いました、宣教の担い手としてのペテロとパウロの働きを聖霊の導きの中で行われたものとして捉えているのです。見えるところでは福音宣教の担い手による人間の活動として描かれているのですが、その背後に聖霊の導きを見ているわけです。

・この見えない聖霊の導き、神の導きは、私たちが所有することのできるものではなく、信じて希望する以外にありません。聖霊の導きを信じて、希望する者は、神の導きに委ねて生きることができるでしょう。人間の営みの集積としての歴史に、神の介入による新しい神の国の可能性を信じて、その神の可能性に賭けて生きるのです。そのことは、パウロがコリントの信徒への手紙一、犠21節以下で語っている宣教の愚かさに通じると思います。

・「世は自分の知恵で神を知ることができませんでした。それは神の知恵にかなっています。そこで、神は宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになったのです。ユダヤ人はしるしを求め、ギリシャ人は知恵を探しますが、わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えます。すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの異邦人には愚かなものですが、ユダヤ人であろうがギリシャ人であろうが、召された者には、神の力、神の知恵であるキリストを宣べ伝えているのです。神の愚かさは人より賢く、神の弱さは人よりも強いからです」(汽灰1:21-25)。

・ここでパウロが「神は宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになったのです」と言っていることは、正しく最初期教会の歴史が書かれている使徒言行録に当てはめることが出来るでしょう。そして、最初期教会の歴史だけではなく、現在も教会の宣教の働きによって、神は信じる者を救おうと考えておられるのではないでしょうか。私たちは福音宣教の担い手の一人として、このことを厳粛に受け止めたいと思うのです。そして福音宣教の担い手としては、聖霊の、見えない神の介入がこの歴史の現実にはあることを信じなければ、それぞれの置かれた場に立ち得ないことも忘れてはならないことではないでしょうか。