なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

使徒言行録による説教(79)

         使徒言行録による説教(79)  使徒言行録21章27-37節、

・今日の使徒言行録の箇所は、パウロイスラエルの民と律法とエルサレム神殿を貶めたというの

で、リンチに遭いそうになったところ、ローマ兵に助けられたという記事です。

・最初に簡単にその状況を聖書に従って振り返ってみたいと思います。まずパウロは清めのための

七日間をエルサレム神殿の境内で過ごして、その七日間の期間が終わろうとしていた時に、アジア

州からパウロを追ってきた離散のユダヤ人たちが、神殿の境内にいるパウロを見つけました。この

離散のユダヤ人の数はそう多くはなかったかと思われます。おそらく数名だったのではないでしょ

うか。彼らはパウロを発見するや、すべての群衆を混乱させて、パウロに手をかけて、こう叫びま

した。<イスラエル人のみなさん、手を貸してください。こいつは、イスラエルの民と律法とこの

尊い場所をおとしめるようなことを、いたるところで、みんなに説いている人物です。しかも、ギ

リシャ人たちを神殿に連れ込んで、この聖なる場所をけがしてしまった>(28節、本田訳)と。パ

ウロがギリシャ人を神殿に連れ込んだというのは、<彼らは、エフェソ出身のトロフィモが前に都

エルサレム)でパウロと一緒にいたのを見かけたので、パウロが彼を境内に連れ込んだのだと思

ったからで>(29節)、事実であったかどうかはよくわかりません。おそらくパウロを捕まえよう

としたユダヤ人たちの思い込みだったのでしょう。パウロを追いかけて来たユダヤ人たちは、とに

かくパウロを捕まえなければならないと思っていましたので、その思いが強かったものですから、

エルサレムギリシャ人と一緒にいたパウロを見て、パウロギリシャ人を神殿に連れ込んだと思

いこんだということではなかったかと思われます。偏見をもって人を見る時に、ないこともあった

かのように言いふらす、よくあることです。

・<それで、都全体は大騒ぎになり、民衆は駆け寄って来て、パウロを捕え、境内から引きずり出

した。そして、(エルサレム神殿の)門はどれもすぐに閉ざされた>(30節、新共同訳)というの

です。新共同訳では<民衆は駆け寄って来て、パウロを捕え、境内から引きずり出した>と訳され

ていますが、この新共同訳で<民衆>と訳された原語は、ラオスという言葉で、新共同訳が27節で

<全群衆>と訳している原語オクロスとは違う言葉です。実はこのラオスという言葉は、今日の使

徒言行録の箇所に3回出てきます。このところの他には、28節の<民と律法とこの場所>(新共同

訳)の<民>と36節の<大勢の民衆が、「この男を殺してしまえ」と叫びながらついて来たからで

ある>(新共同訳)の<民衆>です。

使徒言行録の著者ルカは、この箇所で群衆(オクロス)と民(ラオス)を使い分けて語っていま

す。34節で<しかし、群衆はあれやこれやと叫び立てていた。千人隊長は、騒々しくて真相をつか

むことができないので、・・・>(新共同訳)と記されていますが、ここでは騒動を知って駆け付

けて来たローマの兵隊の千人隊長の質問に対して、群衆がそれぞれ違ったことを叫び続けるので要

領を得なかったという文脈になっています。この群衆には「神の民」という含みは見られません。

それに反して、パウロに対する殺意に燃えて、<その男を殺してしまえ>(36節、新共同訳)と叫

んでいるのは「民」(ラオス)であり、この民は群衆と違って、自分たちは「神の民」という自覚

を強く持っていたユダヤ人なのです。彼らはおそらくイエスを十字架に着けた同じユダヤ人に違い

ありません。割礼や律法を誇り、エルサレム神殿を聖なる場所として熱狂的に信じ、神に自分たち

は特別に選ばれているのだと自負していた「神の民」であるユダヤ人たちです。

パウロは、そのようなユダヤ人によるリンチによって殺される一歩手前で、騒ぎを知って駆け付

けた、エルサレムに常駐していたローマ兵によって助け出されたというのです。以上が今日の箇所

で記されている内容です。

・さてこの使徒言行録でパウロを殺そうとしたユダヤ人の宗教的な熱狂は、私たちと全く関係ない

というわけにはいきません。例えば異端審問や魔女裁判、十字軍やキリスト教絶対主義による世界

宣教のようなキリスト教の中にもありますし、形を変えて民族主義者や国家主義者、日本の天皇

においても同じ熱狂があります。現在ガザのパレスチナ人を攻撃しているユダヤ人も、パウロを殺

してしまえと言ったユダヤ人と同じではないかと思います。最近日本人を拘束したり、アメリカ人

のジャーナリストの処刑場面を流したりしている、シリヤやイラクの一部を支配し「イスラム国」

建設を宣言していると言われるイスラム過激派も、軍事力で他国に介入するアメリカも、自分たち

を正当化して、反対する人たちを殺してでも自らを絶対化するという点では変わりません。宗教だ

けでなく、民族や国家、様々なイデオロギーもまた、自らを絶対化し、それを批判したり否定する

人々を排除、抹殺することがあるのです。

パウロは、かつてはパウロを捕えて、殺そうとした「神の民」と自負するユダヤ人と同じように、

キリスト教徒を捕えて、獄に入れることに熱中していた人物でした。それが、キリスト教徒迫害の

ために行ったダマスコ途上で、復活の主イエスと出会うという体験を経て、回心してキリスト教

になり、イエスの福音を宣べ伝える伝道者になったわけです。パウロは、伝道者となってからは、

エスこそ主であり全ての人の救い主であるという信仰によって、終末が近いという意識を持って

いましたので、全世界の人々にイエスの福音を宣べ伝えることが自分に与えられた使命であると考

えていました。そのために3回の伝道旅行を行い、そして最後にはローマに行き、まだ未開の地ス

ペインにイエスの福音を宣べ伝えようと計画を立てていました。

・第3回伝道旅行を終えて、エルサレム教会にやってきたパウロは、そこで捕まってローマに護送

されて、最後はローマで死んで、スペインにはいかれませんでした。このようなパウロ自身のキリ

スト教徒としての生涯は、苦難と迫害の連続でした。コロサイの信徒への手紙1章24節に、「今や

わたしは、あなたがたのために苦しむことを喜びとし、キリストの体である教会のために、キリス

トの苦しみの欠けたところを身をもって満たしています」と記されていますが、ここには、「キリ

ストの苦しみの欠けたところを身をもって満たしている」というパウロの生き様が述べられていま

す。このようなパウロにはイエスと一つになること、イエスとの一体化がめざされていたことを知

ることができます。おそらく生きていた時のパウロには、教会を絶対化したり、信仰告白やキリス

ト教の教えである教義を絶対化することはなかったと思われます。イエスの十字架を私たち人間の

罪の贖いとして教える贖罪信仰はありましたが、同時にイエスの十字架をそのようなキリスト教

教えとしてだけではなく、イエスに従い、イエスを宣べ伝える時に伴う苦難を担い、自ら十字架を

かついで生きるという信仰者としての生き方を大切にしていたと考えられます。

・まさに今日の箇所は、イエスの十字架の場面と同じように描かれています。イエスが訴えられて、

十字架刑に処せられることになったのは、「この人は、わたしは神の宮を打ちこわして、三日の後

に建てることができると、言いました」(マタイ26:61、マルコ14:58)と告発されたことによると

福音書には記されています。これはパウロと同じです。聖なる神殿を冒涜する者として、イエス

パウロも訴えられたのです。

・この事実は、神を聖なる者、天の高きにいます方として崇め、その神にすべての人の中から選ば

れたのが自分たちだと信じて、自分たちは特別な民だと思い込んでいたからユダヤ人と、イエス

パウロとの根本的な違いを明らかにしいると思われます。旧約聖書によれば、ユダヤ人であるイス

ラエルが神に選ばれたのは、イスラエルに与えられた神の祝福がすべての民に与えられるためであ

って、イスラエルだけが特別にその神の祝福を得ることができるということではありません。それ

イスラエル人、今日の箇所に出てくる民(ラオス)は自らを特別視してしまったのです。

パウロもイエスに倣って、人々の只中で福音を宣べ伝え、その福音の灯を多くの人々と分かち合

ったのではないでしょうか。イエスによってもたらされた神の命の灯をです。その命の灯とは、例

えばガラテヤの信徒への手紙5章13節以下に記されているパウロの言葉によく言い表されています。

<兄弟たち、あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。ただ、この自由を、肉に罪を

犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい。律法全体は、「隣人を自分のように愛しな

さい」という一句によってまっとうされるからです。たが、互いにかみ合い、共食いしているなら、

互いに滅ぼされないように注意しなさい>(ガラ5:13-15)。

・ところが、その命の灯が、教会においてはいつしか教義や祭儀や組織の維持によって覆われてし

まうことがあります。現代の私たちの教会がそうでないかどうか吟味検討し、命の灯を掲げて、そ

の灯を他者と共に分かち合い、互いに仕え合う交わりを求めていきたいと思います。イエスは、神

格化されて拝まれるためにこの世にこられたのではなく、私たちが共に生きることができる命の道

を切り開いてくださったのではないでしょうか。