なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

再開

みなさん、お久しぶりです。また、ぼちぼち書いていきたいと思います。

ちょっと事情があって、約一年間強このブログをお休みしてしましました。その間私のブログを開いてくださった方には大変申し訳ありませんでした。

以前キリスト教主義の学校の自然教室に参加して、当時高校1年生の女学生からいろいろ質問を寄せてもらいました。その質問にこのブログで答えましたが、その時の女学生がこの3月に高校を卒業したそうです。

おめでとうございます! 大学に進学する人、就職する人(高校卒業で就職する人はどのくらいいるのか分かりませんが)、それぞれの道を希望をもって歩んでいかれますように。
そんなみなさんに、最近読んだ谷川俊太郎という詩人の言葉を贈ります。

「世界こそ真に美しいただひとつのものなのだ。僕等は常に生命のもっとも深い流れに気づいていなければならない。そして僕等はその中で生きることによって、初めて満ち足りることの不可能でないことに気づくようになります。」

私はキリスト教の牧師ですから、谷川俊太郎が言う「生命のもっとも深い流れ・・・の中に生きる」を、自分なりにこう理解しています。

新約聖書ローマの信徒への手紙8章38,39節にこういう言葉があります。「わたしは確信します。死も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から引き離すことは出来ないのです」。

私は、人間にとっての「生命のもっとも深い流れ」は、ここで言われています何ものによっても引き離すことの出来ない「神の愛」であり、また、「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された」(ヨハネ福音書3:16)と言われている「神の愛」だと思っています。

どうか太陽の熱と光によって地球が毎日生きているように、何ものによっても引き離されることのない神の愛によって、この世もあなた自身み生かされていることに気づいて、「満ち足りることの不可能でない」人生を、一緒に生きていきましょう。