なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

怒りの向けどころ

1998年頃から日本の社会では一年間の自殺者が3万人を越えるようになっています。3万人ということは、その一人一人の家族や友人・知人のことを考えますと、その2倍、3倍の方々が一人の人間の自殺に密接に関わっていることになります。そして残された家族の者やその人と親しかった方々は、自殺を止められなかった悔いや悲しみをずっと抱えながら生きていかなければなりません。本当に大変なことです。

先日テレビで今年は自殺者がさらに多くなっているという報道がありました。全国でどこが自殺する人が多いかというと、山梨県だそうです。青木が原樹海のような自殺者が多い場所があるからだそうです。

経済問題で追い詰められて自殺する人が多いので、樹海の中に借金で自殺しようとする人は、ここにお電話くださいと、連絡先の電話番号が書かれた看板を立てている人がテレビに出ていました。

自分も以前に借金を苦に自殺を考えたことのある人で、自殺を思い留まって法的な救済を得たので、その方法があることを是非経済問題で自殺しようとする人に伝えたいということで、その活動しているそうです。

事業を経営していて、にっちもさっちもいかなくなってしまうということは、私の父親が会社倒産で苦しんでいたことを私も中学生の頃に見ていましたので、少しは分かるように思います。

個人事業主や中小企業の社長さんのような方は、会社倒産を自分の責任ということで、怒りを自分に向けると言いましょうか、自分を責めてしまうことになり易いのではないでしょか。全くその人の責任がないというわけではありませんが、経済問題の多くは社会のシステムに起因するのではないでしょうか。自分を責めてもどうなるものでもありません。

反貧困の運動に取り組んでいる雨宮処凛さんが、生きづらさを自分に向けてリストカットをしていた以前の自分が、その生きづらさの原因が社会にあることに気づいて、怒りを社会に向けるようになったとき生き易くなったというようなことを書いていました。そういうことがあるのではないでしょうか。

怒りの向けどころを間違えて、一方的に自分に向けてしまうときに、にっちもさっちもいかなくなってしまうのでしょう。命を生かす社会であれば、自殺などしなくていいわけですし、命を奪う社会ならば、社会の方が問題なのだということを見通して、おかしな社会を問うていく方向に自分のエネルギーを注いでいきたいものです。