黙想と祈りの夕べ通信(500)復刻版を掲載します。2009年4月のものです。
黙想と祈りの夕べ通信(500[-29]2009・4・19発行)復刻版
先日テレビで今年は自殺者が多くなっていると報道されていました。そして全国でどこが自殺する人が
多いかというと、山梨県だそうです。青木が原樹海のような自殺者が多い場所があるからだそうです。自
殺する人の中には経済問題で追い詰められている人が多いので、樹海の中に看板を立てて、借金で自殺し
ようとする人は、ここにお電話くださいと、連絡先の電話番号が書かれた看板を立てている人がテレビに
出ていました。自分も以前に借金を苦に自殺を考えたことのある人で、思い留まって法的な救済を得たの
で、その方法があることを是非経済問題で自殺しようとする人に伝えたいといことで、活動しているそう
です。事業を経営していて、にっちもさっちもいかなくなってしまうということは、父親が会社倒産で苦
しんでいたことを中学生の頃私も見ていましたので、分かるように思います。そしてそれを自分の責任と
いうことで、怒りを自分に向けると言いましょうか、自分を責めてしまうことになり易いのです。全くそ
の人の責任がないというわけではありませんが、経済問題の多くは社会のシステムに起因するのではない
でしょうか。自分を責めてもどうなるものでもありません。反貧困の運動に取り組んでいる雨宮処凛が、
生きづらさを自分に向けてリストカットをしていた自分が、その生きづらさの原因が社会にあることに気
づいて、怒りを社会に向けるようになったとき生き易くなったというようなことを書いていました。そう
いうことがあるのではないでしょうか。怒りの向けどころを間違えて、一方的に自分に向けてしまうとき
に、にっちもさっちもいかなくなってしまうのでしょう。命を生かす社会であれば、自殺などしなくてい
いわけですし、命を奪う社会ならば、社会の方が問題なのだということを見通して、社会を問うていく方
向に自分のエネルギーを注いでいきたいと思います。
上記の私の発言に続いて、一人の方の発言がありました。今の話題に続けて感じていることを話したい。
今日の座り込みでたまたま話題になったことで、東京の下町にある聖公会の教会が炊き出しをしていて、
始めは50人ぐらいだったので問題がなかったが、最近段々多くなり500人も並ぶようになった。すると地
域の人から炊き出しに対する反対運動が起こり、教会関係の弁護士が出て来ているがこういうケースは一
番難しいとの話。その炊き出しに並ぶ人は殆ど男の人であり、自殺者も男の人が多い。男は妻子を養い、
会社でも責任を負うこと。この男中心社会のつけが来ている気がする。最近見た「大阪ハムレット」とい
う映画があり今ジャック&ベティーで上映中なので性差別委員の人には是非観て欲しいとメールした。こ
の映画の一場面に小学生の学芸会で、白雪姫の劇をすることになる、そこで夢が宝塚の男役になりたいと
言っていた女の子が王子さまに、そして将来の夢に女の子になりたいと語っていた男の子がいてクラスの
皆から推薦されお姫様役になる。家に帰って報告をするとその男の子のお母さんはそれを聞いて、じゃあ、
すてきなドレスを作ってあげるわと応援をする。本番になると観客の子供と大人たちは王子様役には「ス
テキ、かっこいいわね」。ところがお姫様には子どもたちは「きもい、きもい」、大人達もまゆをひそめ
ている。しかしそうした雰囲気をよそにその男の子はお姫様役を最後まで生き生きと演じきった時、会場
全体から大きな拍手を受けた。この差には男はりりしいものでなければならないという刷り込みがあるよ
うに思う。男は社会で働き、女は家庭にいる。男子が仕事をしないでいたりすると、仕事をしなさいと強
く言われるが、女子の場合は気立てがよければいいわという感じで、男子ほど自立するようには言わない。
男も女もこうで有らねばならないというものを負わないでいいのだよ、生きているだけでいいのだよと、
語りかけている映画の語りかけにほっとさせられ、一つ一つの命と個性が大切にされることを願っていき
たい。
「自由は人をひきつける」 4月19日
内面的に自由であるなら、あなたは人々を自由へと招いています。あなたがそれを知っていようといま
いと、自由はどこに出現しようと、人々をひきつけます。男であれ女であれ、自由な人というものは、人
々が安全と感じて住みたいと思うような場所を作ります。私たちの住むこの世界には、「ああしなさい、
こうしなさい・・・しないとこうなりますよ、・・・・する人には・・・・する義務があります」といったことが溢
れていて、私たちには一体何が求められているのかととまどいを覚えます。しかし、本当の自由な人に会
う時、そこには何かを期待されることなくただ、自分に戻り、そこで本当の自由を見つけようという招き
があるだけです。
真の内なる自由があるところに、神がおられます。神がおられるところ、そこに私たちもいたいものです。
(ヘンリ・J・M・ナウエン『今日のパン、明日の糧』より)