以下は以前に教会の機関紙に書いた文章です。
牧師室から(16)
今回私は教団の教師委員会に7人の信徒常議員から出された私に対する「戒規適用申立書」を受理したことを問う文章と資料を全国の教会・伝道所に送らせてもらいました。その私の訴えにいろいろな方から応答が寄せられています。一人の女性信徒の方からは長い手紙をいただきました。詳しいことは申し上げられませんが、以前息子さんが切実な思いで教会の礼拝に出席したのに、教会ではまだ洗礼を受けていないということで、聖餐を受けることができなかったそうです。それ以来息子さんは教会に行くことはなく、キリスト教嫌いになったというのです。そのことがあって、今回の私のことには深い関心を寄せているというのです。
この方のお手紙を読んで、改めて神の恵みであるサクラメントとしての聖餐が本当に神の恵みの業になっているのかということを考えさせられました。場合によっては人を排除、抑圧する働きをしてしまっているのではないかという疑問です。この疑問はK牧師も持っていたようです。彼の死後出版された『礼拝の神学』の中に、「現代における聖餐をめぐる緊急の課題は、・・・抑圧的権威の象徴である聖餐ではなくて、『貧しい者、罪人たちと共に食事されるイエスに、自分もまた一人の罪人として赦された者の自由を共に祝う』(コクレーン)聖餐を、どのように見出すかにあるといってよいのではないかと思われる」(85頁)と記しています。
聖餐に限らず現実の教会は抑圧的権威の象徴に満ちているように思われます。それはイエスをキリストに祭り上げ、歴史のイエスを無視して神としてのキリストだけを語ってきた教会の負の遺産をまだ私たちの教会が克服できていないからではないでしょうか。
2009年11月
人間の弱さは人間にとって本質的なものだと思われます。この世に誕生した赤ちゃんは、全く自力では生きられません。周りの人、特に両親をはじめ保護者による支えが必要です。しかし、核家族化した現在の社会では両親や保護者の方々だけでは難しく公的支援が不可欠です。同じことは高齢者にも言えます。老いていくに従って人間は弱さを露呈します。自分一人だけでは生きていくことができません。周りの人の支えが必要になります。
ところが、かつてあった大家族や村や隣近所のような家族を包む様々なコミュニティーが機能不全になり、現在は国家や自治体や資本と個人や家族が直接関わらざるを得ない状況が進行しています。国家や自治体による社会保障や社会福祉が十分な社会で人々も人権思想を身につけ民主的であれば、弱さを持った人も安心して生きていくことができるでしょう。そうでない社会ではサーヴィスもお金で買わなければなりません。そのような社会では、昨年の年末年始に日比谷の派遣村で有名になった湯浅誠さんが言う「ため」(貯金や助けてくれる家族・親族・友人)があるかないかによってその人の「運命」が決まってしまいます。「ため」がなく仕事を解雇された人は即路上生活者にならざるを得ません。現在の日本社会はそういう形で進行しています。
さて私たちの教会は明治20年代以降中産インテリに属する人によって構成されていると言われてきました。中産インテリは「ため」のある人たちです。実際今教会に属する高齢者の方々は何とか自分と家族に支えられて生活しています。しかし、寿では同じ高齢者の方々は社会保障、社会福祉によらなければ生活できません。この矛盾に教会はどう取り組み、社会を変えていくのか。これも大切な教会の宣教の課題の一つではないでしょうか。
2009年12月
先日福音書に出てくる「持ち物を売り払い、貧しい人びとに施しなさい。そうすれば、天に宝を積むことになる。それから、わたしに従ってきなさい」(マタイ19:21)というイエスの招きに応えられないで、イエスのもとを立ち去った富める青年は自分ではないかと、ずっと思ってきたという方がいらっしゃいました。そして定年退職して年金生活者になったので、やっとそのこだわりから解放されたと思ったが、私が先月のこの「牧師室から」で書いた湯浅誠さんの「ため」(助けてくれ人や預貯金)のある人は即路上生活者にならないで済むという記事を読んで、ああやはり自分はまだ富める青年ではないかと思ってしまったというのです。
私も若い時には同じような思いにさいなまれたことがありますし、日本の多くのキリスト者は同じ思いを抱いているのではないでしょうか。貧困の問題は個人倫理ではどうすることもできない社会の問題ですから、自分の持ちものを全部売り払ったからと言って、貧しい人がいなくなるわけではないのです。ですから、たとえそれができたとしても、自己満足の域を越えられません。真面目な信仰者はこういう精神的な行き詰まりにぶつかるわけです。
この貧困の問題は社会正義の問題としてとらえることが必要ではないかと思います。雨宮処凛は、生きづらさを自分に向けてリストカットしていた自分が、その生きづらさの原因が社会にあることに気づいて、怒りを社会に向けるようになったとき生き易くなった、と言っています。だからと言って、正義を振りかざして社会を糾弾すれば済むものでもありません。社会は目には見えませんが私たちすべての人間関係の総体です。与えられた場でかかわりを持つ身近な人との関係から変えていくことではないでしょうか。
2010年1月
先日2・11思想・信教の自由を守る日横浜地区集会に参加しました。その集会の講師Iさんから、「靖国神社と天皇陛下様 遺言」という、戦犯で死刑執行されたある日本兵の文章を紹介されました。この遺言という文章は以前に8月15日の靖国神社前で配られたチラシに書かれていたものだそうです。Iさんの朗読を聞いて、私の体に衝撃が走りました。ここに引用させていただきます。
「銃殺刑を前に祖国の皆さんに訴ふ。/靖国は、侵略戦争を反省、各国にお詫びする神社にして下さい。/「英霊」「勲章」は拒否します。/戦争で日本軍は大変に悪いことをした。/私達に殺された遺族の皆様に申訳ない。/「聖戦」ではなく侵略であります。/天皇陛下も侵略を各国に詫びて下さい。お詫びは恥でなく、日本の良心です。/日本はかつてのドイツにならぬように二度と武器を持たないで下さい。/国民党蒋介石軍の戦犯処刑の実体を帰国者から知って下さい。/岡村寧次総司令官などの戦争責任者や石井細菌戦部隊こそ厳重に処罰して下さい。/吾身をつねり殺される立場になって、その痛さを知りました。朝鮮民族の伊藤博文に対する憎しみも日本に対する怒りもわかりました。/祖国日本の平和と良心は民族の反省なくしては得られません。/私達は日本軍の罪を背負って銃殺されてゆきます。/“蜂となり吾もゆきみん靖国の花は平和に咲きにほう日に”/於 二十一年夏 北京国民党第十一戦区(蒋介石)草嵐子監獄」
遺族の方がこの遺言をチラシにして8月15日の靖国神社で配ったのでしょう。この遺言は、戦後に生きる私たちすべての日本人に向けられているのではないではないでしょうか。これを残して銃殺されていった方の思いを継承していかなければならないと強く思わされました。
2010年2月