なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

系図

昨日の礼拝説教でマタイによる福音書の1章1-17節を扱いました。私はこれから日曜日の礼拝説教はマタイによる福音書を順次扱っていくつもりです。この箇所はイエス系図が書かれているところです。よく新約聖書を読み始めて、最初の系図で躓いてしまい、読むのを放棄してしまったという話を聞きます。

私が読んだ聖書の解説をしている注解書にも、このマタイの系図を説教のテキストにする人は殆どいないと書いてありました。そうだろうと思います。

さて系図(家系)にこだわる人がたまにいます。系図というのは、そうとう由緒ある家系でないと、その信憑性は疑わしい場合が多いようです。私の知っている方で名古屋の人ですが、晩年自分の系図に興味関心を持つようになり、二度にわたって3人の息子家族と系図を辿る旅をした方がいます。四国の瀬戸内海側でしたが、その結果自分の先祖は瀬戸内海で海賊のようなことをしていた何とか水軍の頭だということが分かったと、喜んで話してくれました。

中には自分の先祖は士族だと、誇らしげに言う方に出会ったこともあります。逆に周りの人はその人の立派な先祖のことを気にしていますが、本人はそういうことに触れられるのが嫌いな人もいます。人間って、いろいろですね。

私自身は、以前山室軍平という人の聖書の解説を読んでいたときに、人間は20代、30代と先祖をずっと遡ればみんな兄弟姉妹だと書いてあり、本当にそうだと思いました。ですから自分のも他の人のも系図にはあまり興味関心はありません。

ただ系図があるということは、その人が具体的な人間であると言う身分証明にはなります。超人でもエイリアンでもキャラクターでもなく、ただの人だということです。