私は、今月の終わりに3日間、キリスト教主義の女学校の自然教室に講師として参加することになっています。高校2年生の自然教室です。
私もかつてキリスト教主義の男女共学の学校に中学、高校を過ごしたことがあり、自然教室と言ったかどうか忘れたが、2泊3日自然の中で生活を共にする体験をしたことがあります。もう50年近く前になります。
教会に来ている高校生は少ないので、現在の高校生がどんな意識なのか知っておこうと思い、NHKから出ている『中学生・高校生の生活と意識調査』を読んでみました。その本の副題は「楽しい今と不確かな未来」となっています。多分このコピーが、現代の中高生の生活と意識を物語っているのでしょう。
この本の最後の方に、こんなことが書いてありました。「お先真っ暗な社会を生き抜くためには、『不透明な未来よりも今』を、『不確かな社会よりも自分』を選らばざるをえないのかも知れない。こんな状況にあって、中高生たちが『開き直って』生活を楽しみ、幸せを感じていることを、むしろたくましいと受け止めることもできるのではないか。いち早く世の中の変化に適応し、新しい価値観を身につけ、楽しく生きようとする、そんな中高生の姿をけなげに感じれば、これからの希望と受け止めることもできるだろう」。
考えて見れば、私たちの日本の社会で自分を本当に大切にして生き抜くという価値観がどれほど市民権を得ているのでしょうか。このところ教育基本法の改悪の動きを政府は加速させようとしています。「愛国心」問題をはじめ、現在の教育基本法のベースになっています個人の尊厳から、公共的な人間⇒お国のためになる人間へとシフトを移そうとしています。
この問題を考える時、イエスの言葉が浮かんできます。「安息日(法)は人のためにあるので、人が安息日のためにあるのではない」という言葉です。誰かがこれはイエスの人権宣言だと言ったことがあります。
「不確かな社会よりも自分」を大切にする価値観が、現代の中高生に浸透しているとすれば、個の尊厳をベースにあらゆる社会の営みが形成される希望に繋がる可能性があるように思います。私は、そうなって欲しいなあー、と密かに願っています。