なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(40、復刻版)

 以下の「黙想と祈りの通信」に出て来ます鎌倉静養館での隔月の聖書の学びの会からは、本当に沢山のことを教えられました。本年3月紅葉坂教会を辞めることが決まっていましたので、昨秋9月ごろを最後に、今は行っていません。鎌倉静養館はキリスト教主義の経費有料老人ホームですが、入居者の方々の多くは自分たちの居場所としての静養館が住み心地の良いところだと、心から喜んでおられました。今は天上にあるYさんが静養館に入居していて、聖書の学びの会の責任者で、私が隔月にその会に行くたびに、かいがいしくその会のお世話をされていたことを思い出します。Yさんは召されて、献体紅葉坂教会の墓地に埋葬されています。  
 
黙想と祈りの夕べ
   (通信 40 2000・ 7・2発行)
 
 先週の日曜日には、礼拝後日曜学校中高科で軽費有料老人ホ-ム鎌倉静養館を訪問しました。ここ数年日曜学校の鎌倉静養館訪問は続いています。今年は私も一緒に行きました。中高生5人、日曜学校スタッフ8名、青年1名、その他5名の総勢19名でした。鎌倉静養館のお年寄りの方々、スタッフが約30数名でした。教会からはト-ンチャイムの演奏と、一人の中学生のマリンバの演奏にプレゼントを用意しました。鎌倉静養館の方からは、ハンドベルの演奏がありました。またハンドベルとト-ンチャイムの合奏もありました。
 先週の「黙想と祈りの夕べ」の「分かち合い」で、私は、鎌倉静養館に生活しておられる65名のお年寄りの方々のことを覚えて、祈りに加えていただきたいと申し上げました。その中には90歳以上の方が16名いらっしゃるということです。私は数年前から隔月に鎌倉静養館に行き、聖書の学びの会の責任を負っています。30分ほどの聖書のお話の後、1時間位自由な語らいの時を持っています。出来るだけ参加者のお年寄りから話を引き出すようにしています。出席者は20名前後ですが、お年寄りの話を、そこに参加しておられる2名の職員の方が自分たちも初めて聞きましたと、時々言われることがあります。外交辞令かも知れませんが、この会をみなさん楽しみに待っていてくれるそうです。私は、この会で聞くことの大切さを学んでいます。
 また、「分かち合い」では、一人の姉妹が、この日の静養館訪問の感想を話してくれました。彼女は今年の3月に日曜学校の進級のお祝いの会で一人の中学生がマリンバの演奏をしてくれたときに、このマリンバの演奏を鎌倉静養館訪問のときにお年寄りにも聞かせてあげたいと思ったそうです。それで、一人が目立つのは、と躊躇する中学生の母親を説得して、今回の訪問にマリンバ演奏を実現したそうです。お年寄りの2、3名の人が涙を浮かべて、みんな真剣に聞いてくれました。マリンバの演奏曲目は、道化師のギャロップ、ハンガリア舞曲、荒城の月でした。彼女は、お年寄りからのアンコ-ルは荒城の月とばかり思っていましたが、実際は彼女には予想外のハンガリア舞曲だったので、自分の予断に反省させられたと言われました。人の思いを超えたものを感じさせられ、自意識が解かれて、自然に身を委ね用いられる時に、何かが生まれるということを教えられたと。
 この姉妹のお話を聞いていた別の一人の姉妹が、感動が伝わるお話で感謝していると言われました。そして、自分の生活の中での不思議な出来事に、神の導きを改めて感謝していると、付け加えました。
 また別の姉妹からは、教会の帰りに礼拝を共にした一人の兄弟から、礼拝に来る時に、桜木町の駅で二人の野宿者が追い出しを受けていたと聞いて、先週の「寿について学ぶ」会でKさんから日雇労働者・野宿者の話を聞いたばかりだったので、胸が痛んだ。たまたま夫が野宿者のパトロ-ルに参加しているので、その話をしたら、急いで追い出されと思われる野宿者の人を探しに行った。他の野宿者の人に聞いても、知らないとのこと。夫は、寿日労(寿日雇労働者組合)に電話して、もし追い出しを受けた人が行ったら、どうされたか聞いておいてくれるようにと頼んだ。自分の家の前に野宿者が寝るようになったらどうするか、問われているように思うし、この問題をやっていくことは、国家と向き合わざるを得ないことになっていくのかと思う、と言われました。