なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(97、復刻版)

 今日は「黙想と祈りの夕べ通信(97、復刻版)を掲載します。

          黙想と祈りの夕べ(通信 97[-45] 2001・8・5発行)

 7月26、27日と「寿青年ゼミ」が行われました。このゼミは、神奈川教区寿地区センタ-が主催して毎年開かれています。年3回あり、今回は2001年度の第1回になります。教会青年を対象にしていますが、実際には寿地区センタ-の働きに賛同しているキリスト者の大学教師の協力を得て、その教師が関わる大学生の参加がほとんどです。毎回野宿者の夜回りパトロ-ルと寄せ場の朝の状況、そして炊き出しがプログラムに入ります。その他には、寿で取り組む方の講演2回、そしてまとめの会をして終わります。ここ数年講演は、寿日労のKさんと寿福祉センタ-のMさんにお願いしています。寿に関わっているお二人ですが、話を聞く者には、お二人の視点は対照的に感じられます。Kさんは、寿日雇労働者組合で働いておられますので、日雇い労働者の置かれている労働状況や野宿者の状況、日雇いを必要とする建築産業の社会構造上の問題などが話の中心です。一方Mさんの話は、寿でご自身が出会った印象深い個々人について、特に善悪の規範を超えてその人間性の豊かさ・深さへの感動が中心です。私はMさんの話を、それぞれが持つ資質や個性にその時代や社会が反映して、市民社会の枠の中で生きている人には考えられない巾や深さのある生き方をしている人がいるもんだと、Mさんの感動に共感しながら聞いています。Mさんの話を聞いているうちに、人間って何なんだろうかと思えて来ます。自分はどれほど人間の深さを生きているのだろうかと、考えさせられてしまいます。寿のことを問題にするときに、そこで生きているこのような一人一人の存在に耳を傾けることの大切さを思わされています。

 以上の私の発言に続いて、一人の姉妹が以下のような発言をしました。私は、ここでも時々報告しているが、障害児を持つ母親のためのボランティア-のグル-プに属し、いろいろな障害をもった子どもの家族に関わっている。先日も3人の子ども(その内のひとりに障害がある)のいる母親から依頼があり、ボランティアに行った。夏に家族で一週間旅行するので、美容院へ行きたいので、3時間ほど頼めないかということで、引き受けた。彼女は、美容院に行けてうれしい、楽しいわと言った。24時間子どもとベッタリ関わっているので、美容院の時間は自分にとって「贅沢な時間」だと、彼女は言う。私は、ボランティアに行って、よかったと思った。美容院に行けて、「贅沢な時間ですね-」という彼女の言葉が耳に残っている。子育ての若い母親、特に障害をもつ子どものいる母親は、そういう時間をなかなか持てないのだと思う。これからも、そういう母親がホットできる時間が持てるように、自分の力を用いて行きたいと思った。

 「通信」をお送りしている方からお便りをいただきます。一部紹介させてもらいます。「21世紀は本当にイエス・キリストの指し示された時代が近づいたと感じています。ホ-ムレスの人が農園の仕事を任されて、生きる喜びを見い出した時、貧しい人は幸いである。悲しんでいる人は喜びを見い出すであろうという言葉を思い出しました。…」(I姉より)。「私は現在、横浜市の女性相談員をしています。様々な方が相談に来られますが、日々神様に祈り支えられながら送っています。ドメスティック・バイオレンス家庭内暴力。最近は夫やパ-トナ-による女性への暴力を意味する)で逃れてきた母子など、人権をどう守るのか、社会全体の大きな課題と考えています」(T姉より)。