なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(22)

 昨日は私の夏休み中でしたが、9月25日に開催予定のかながわ明日の教団を考える会の案内を出すために船越教会に行ってきました。お昼少し前に鶴巻を出て、午後1時半過ぎに船越教会に着き、2時間半ほどで作業を終えて、午後4時過ぎに船越教会を出ました。帰りの横浜駅乗り換えの時に、横浜中央郵便局により80通ほどの封書を出しました。
 このかながわ明日の教団を考える会は、沖縄教区議長山里勝一さんが、名称変更議案が審議未了廃案になったときに、「さようなら」と言って立ち去り、その後沖縄教区は教団とに距離を置くことになった2002年の教団総会の直後に、神奈川教区の有志によって立ち上げた会です。その総会では、合同のとらえなおし関連議案がすべて審議未了廃案になり、靖国天皇制情報センターと性差別問題特別委員会が教団の委員会としては廃止になりました。そのような教団の方向性を批判する、教区政治・教団政治への対応を目的にかながわ明日の教団を考える会ができました。この会の最低限の確認事項は以下の通りです。
 
《最低限の確認事項》
~この「会」に参加する者の最低限の確認事項として、神奈川教区形成基本方針に立って、われわれの宣教の課題としてa)戦責告白の線、b)「合同のとらえなおしと実質化」を推進、c)靖国天皇制情報センター、在日・日韓、性差別問題特別委員会の継承という方向性を共有する。
 その上で、この「会」の活動としては、a)神奈川教区内有志信徒・教職間のネットワーク(情報その他)、b)教区政治への対応、c)全国的な働きとの繋がり、をめざす。
 
 9月25日のかながわ明日の教団を考える会は第47回になります。9年間続いたことになります。教団の状況はますます私たちがめざす方向からは遠のいていますが、これからもなすべきことをなし続けていきたいと思っています。
 今日は「黙想と祈りの夕べ通信(22)」(復刻版?)を掲載します。
 
  黙想と祈りの夕べ
   (通信 22 2000・2・27発行)
 
 前回の「黙想と祈りの夕べ」における「分かち合い」では、はじめに私が、前日に行なわれた寿青年ゼミで印象に残っていたことを話しました。寿青年ゼミに参加していた女子の高校生2人の内の一人が、寿は恐いところだから行ってはいけないとう親の注意にも拘らず、先生や友達も一緒に行くからと親を説得して自分は寿に来たという発言をしました。寿地区センタ-の主事をしておられるMさんが、その後の発言において、目に涙を浮かべて、そういう高校生が寿に来てくれたことは本当にうれしいと言われました。私はその時の話し合いの司会をしていましたが、Mさんの涙の意味を考えさせられました。寿は恐いところだという偏見を受けながら、十数年来黙々と寿で活動されて来たMさんにとって、その偏見を乗り越えて寿に足を運んだ一人の女子高校生の存在は大変大きかったのではないかと思います。偏見の壁を越える若者の勇気は、差別のなくなる未来を予感させてくれます。Mさんは、そのような若者の勇気に自分もまた励まされたのでしょう。
 続いて、障害児の母親のためのボランティアをしているCさんから、同じ自閉症の子でも、家族が無理解なために、母親が離婚してまでその子を一人で育てようとしているケ-スもあり、家族みんながその子を支えるケ-スもあり、共に生きるとはどういうことなのか、その日の聖書朗読箇所であった日雇い労働者の譬えのみことばと共に考えさせられたという話がありました。後者のケ-スはテレビで放映されたそうですが、現在川崎市のホ-ムで働いている自閉症の青年のことです。彼の母親は、彼のために100人の人の力が必要ならば、自分が100人の人に友達になってもらおうと努力したというのです。また現在彼の父親は、24時間のサポ-トセンタ-をつくりたいと、老人介護の勉強をしているということです。自分の子どもが多くの人の支えを受けてやってこれたという体験から、そのような働きができればとうことなのでしょう。
 この話を聞いて、同じ自閉症の子のいる家族でも、その子を排除するか、その子を受け入れるかで、その家族や周りの人たちの生き方が、全く違ってしまうということをつくづくと考えさせられました。このことは自閉症の子のいる家族の問題に限られないと思います。寿や野宿者の問題も同じことではないかと思います。外国人労働者のことも、被差別部落の方々のことも全く変わりません。自分たちから排除するか、受け入れて共に生きて行くかのどちらかです。残念ながら、私たちの心の中にも私たちの社会にも、排除の構造がはりめぐらされているように思われます。差別問題の根底にはこの排除の構造があると言えるでしょう。路上生活者のパトロ-ルの課題の一つは、路上生活者の追い出しを防ぐということです。この問題は、数年前に新宿駅の段ボ-ルハウス強制撤去ということで社会問題となりましたので、ご存じの方も多いと思います。
 「分かち合い」では、また、Kさんが65歳の友人の死について話されました。生前その方が元気だった時には、同じコ-スを散歩し、最後にお花を見て別れたそうです。その方はお連れ合いを若いときに亡くし、3人の子どもさんを一人で育て上げたということです。葬式は仏式で出しましたが、長男の方は母は天国に行ったのでとおっしゃり、実にさわやかな、明るい葬儀だったと。自分も彼女が天国で安らかに休めるように祈りたいと話しました。ご遺族の上に主にある平安を祈ります。