なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(23)

 組織と個人の関係はなかなか難しいものです。私は、若い時から教会の中にもこの問題があること、特に組織擁護によって個人が圧殺される構造に問題を感じてきました。そのことは『自立と共生の場としての教会』の中にも紅葉坂教会の伝道師時代(19744月から19773月)の週報コラムに組織と個人をテーマに書いたものを載せています。そこでは組織は個人を生かすためにあるもので、個人を犠牲にして成り立つ組織は問題であるという主旨のことを書いています。しかし、そのようにずっと考えて来た私ですが、神奈川教区の中で聖餐と戒規免職の問題で、一人の仲間を傷つける組織決定をしてしまいました。その一人に一応了解をとったつもりでしたが、その一人の仲間の気持ちを十分に受け止められなかったことは事実です。一方その組織決定は、現状では神奈川教区でとり得るベターな決断であったという気持ちは、今でも変わりません。なかなか難しいものです。
 昨夜寿地区活動委員会がありました。会が終って雑談のときに、一人の委員の方が私の裁判の準備状況を聞いてこられました。私は現状をお話ししました。その方は、自分の所属する教会では情報が伝わってこないので、そのことを教会で問題にしたときに、反発が大きかったとおっしゃっていました。教会は個別の人間が抱えている問題を共有するところではないというのでしょうか。礼拝を共有する場で、個別の人間が抱える問題は各々が自分で解決しなさいというのでしょうか。確かに個別の人間が抱える問題のすべてを教会が担うことはできませんが、個別の人間が抱えている問題の中には、平和や人権(差別)の問題をはじめ、教会に関わる問題も多いと思うのです。そのことに関わらないということになると、教会とは一体何なのでしょうか。
教会に関わっていますと、繰り返しこうこう問題に直面させられます。
 さて今日は「黙想と祈りの夕べ通信(23)」(復刻版?)を掲載します。
 
  黙想と祈りの夕べ
   (通信 23 2000 3 5発行)
 
 この「黙想と祈りの夕べ」を始めてから、5ヵ月が過ぎました。そのちょうど節目の前回は、その日の礼拝で当教会の講壇からの最後の説教を担われたY伝道師と共に守る最後の集いでした。どうしてもその日の礼拝と送別会に集えなかった姉妹や入院中の青年も出席して、今までの「黙想と祈りの夕べ」の出席者としては一番多い11名の参加がありました。
 「分かち合い」では、Y伝道師から、この集いが自分にとって静かに自分を振り返る貴重な時であったこと。紅葉坂教会での2年11ヵ月は、諸兄姉に支えられて楽しく働かせてもらったが、今振り返って考えると、甘えが許されてきたのではないかとも思えて、これから自戒しながら、O教会で主任担任教師として働いて行きたい。これからも祈っていただければ幸いであると。
 その日の礼拝後の送別会で、壮年会のK兄が、いも虫しが蝶に変身するように、独り立ちしてゆくY伝道師を励まされました。私たちは、これからの先生とその働きを覚えて祈っていきたいと思います。
 また、前記の姉妹が、今日礼拝とY伝道師の送別会に来れなかったのは、親しい方の葬儀に出席したためであり、最初はどちらに出ようか迷ったが、この集いがあるので、そこでY先生に会えると思い、出席した。ここ数か月に夫の兄や友人が、それぞれ75歳、80歳を過ぎて召された。遺された者の淋しさを感じ、死に逝く人間の厳しさとその重さを考えさせられていると話されました。
 私たちには、必ず迎える死とどう向かい合うのかということが問われていると思います。けれども、この問いは、死までをどう生きるかということでもあるでしょう。しかしながら、「どう死ぬか=どう生きるか」において、人間の意志的・主体的な営みがどこまでの影響力を自分の生死に持ち得るのかは、私にはよく分からないところです。以前私の知人でもあった或る精神科の医者が、自分の理想的な老後は痴呆になってみんなの手を煩わせて死んでいくことだ、と言われました。もちろん、そのように思っていたとしても、人は自分の老後や死を選ぶことはできませんから、それは、その人の願望に過ぎないでしょう。その時私は、この精神科医の発言を人間の意志的・主体的な思いや行動を相対化するものとして理解しました。ある意味で、なるようにしかならないということを踏まえて、なすべきことを「一日一生 ( いちにちいっせい )」(内村鑑三)の思いで生きる。そのことに尽きるように思います。
 姉妹は、遺された者の淋しさは、互いに祈り合う祈りの共有によって支え・支えられてて行きたいと言われました。そのことを大切に私たちも歩んで行きたいと思いました。
 また、一人の兄弟から、企業とう競争社会の中では技術的にも人よりも力をもつことを強いられているわけだが、自分は自分らしく生きていけるような道を模索しながらやっていきたいとう発言がありました。私は、その彼の思いを聞いて、彼がそのように自分の定めた道に従って企業の中で生きて行くのは困難でしょうが、その困難にまさる平和と喜びが与えられますように、祈って行きたいと思いました。
 前回の「分かち合い」では、その他にも発言がありましたが、紙面の都合で割愛させていただきます。先日湯河原の梅を妻と観て来ました。上の方ではロッククライミングの練習もできる程の急な岩山の傾斜に紅梅と白梅が見事でした。