なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

父北村雨垂とその作品(28)

  7月末に寿の中にありますなか伝道所に呼ばれ、礼拝説教では聖餐について、礼拝後には「私の戒規免職問題とは何か」というテーマで話をさせていただきました。この「私の戒規免職問題とは何か」がなか伝道所の機関紙「ことぶき「なか」だより」に載ることになり、その原稿校正が私の方に送られてきました。何れ「ことぶき『なか』だより」10月号が発行されましたら、是非読んでみてください(以下に連絡してください。発行所:日本キリスト教団 なか伝道所 〒231-0026 横浜市中区寿町3-10-13金岡ビル205、℡:045-671-1109、発行者:渡辺英俊)。
私は、私の免職問題が起きた背後には、福音主義教会連合と連合長老会という教団内会派のようなグループが東京神学大学と一体となって、自分たちの考え方に従って教団を統制しようとする力学が働いていると思っています。その思想的な系譜はキリスト教の「護教」ではないかと思います。それは戦時下教団の姿勢に通底するもので、新しい現象ではありません。
私が、19694月に東神大を出て最初の教会で働くようになって以来のテーマは、東神大問題で露呈したイデオロギーに成り果てたキリスト教信仰を批判的にどう乗り越えていくか(キリスト教イデオロギー批判)にあります。現在まで「イエスの生きざま」(イエス運動)に学ぶことによって、その作業を細々と続けています。
さて、今日は「父北村雨垂とその作品(28)」を掲載します。
 
父北村雨垂とその作品(28)
 
この部分のノートは完成した句が並んでいると思われます。(研)とあるのは、「川柳研究」に投稿したものではないかと思われます。
 
さざ波を 心臓に 風 汒乎たり
褾足の 匂う假睡も 夢二にて
觀づれば 無形 無想と ゆれる払子
水平に 核の両手の 南と北
数をみていた番犬た 冬の星
番犬が「数」をみていた冬の星
優賞と 菊の無残や 晒し首
苔寺の 苔に ( たたず )む 汗臭き
潮騒と カンナが 夏を回想する
心臓と風が 明日 ( あした )を 組立る
踊る砂漠の 風をみている 獅子と駱駝
キャンバスに 風が えくぼを描いて 消す
赤ん坊の 掌をばらばらに 秋深き       (研)
忘却の 白き夢には プリズムを
神は大地と 日月共に天に在り
鶏頭の好きな 花子も 嫁に行く
バッコスの血もさながらに山葡萄        (研)
東から 西へ 私の ( ぶ ) ( き )らる
雑木林で桔梗の何か言ひたげな
風雪や 肋骨 ( あばら ) 浮べた 野犬 ( いぬ )を追う
諦念 (あきらめ)の こおろびに北風 ( きた ) 戸をたたく
斜視の言葉が 聞いていた 笛、太鼓
萬葉の ( おんな )を 釣瓶 ( つるべ )にて 舌に
エンマの鼻からまかりでた蜘蛛
血と汗が 今日も未完と書き 終る       (研)  
             (暮れる 夕陽
おにぎりは残り 消えていた草鞋
神をみる 天災の血は  ( あお )かった        (研)
人形が 流れて行くよ 暴風雨 ( あらし )の庭       (研)
      (来たよ)