なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

父北村雨垂とその作品(44)

 父の作品が川柳としてどう評価されるのかは分かりませんが、その句を読んでいて、ときどき父の資質の中に自分と同じものを感ずる時があります。キャバレーの句などにもそれを感じます。父本人から聞いたのか、他の人から聞いたのかは忘れてしまいましたが、父が中卸の薬屋の責任を持っていて、まだ薬のメーカーから受ける接待や小売の薬局屋を招待しての接待などが盛んだった頃、多分メーカーの接待で夜女性が性サーヴィスにやってきたとき、父は何もしないでそばに寝かせて帰らせたというのです。本当かどうかは確かめようがありませんが、多分父はそういう人だったと思います。商売ができる人ではありませんが、父の置かれた環境の強制によって父はその世界に引きずり込まれたのだと思います。他の人からの信頼はあったようですので、それで何とかやれたのかも知れません。しかし、時代の変化の狭間で、薬業界で中卸業が成り立たなくなっていくようになり、父が責任を持っていた会社は倒産し、メーカーの三共製薬に吸収されました。その後の10年か15年位父は何とかやりくりしながら生き延び、1971年の正月に70歳で脳溢血で倒れ、半身不随になり、その後約15年間ベットの生活を続けて、天の人となりました。幸い右半身は自由がきき、頭もしっかりしていましたので、その間今私の手元にあるノートなどを書き残しました。この最晩年の15年間が父にとっては人生の最も良い時間だったのではないかと思います。
 さて、今日は「父北村雨垂とその作品」(44)を掲載します。 

父北村雨垂とその作品(44)

以下の作品の中にも前に掲載したものがありますが、微妙に表現が違うところがありますので、ここに掲載しておきます。

“蛇”

蛇が曲線だ生命を證徴した
蛇が人間を偽善家と断定した
蛇が盗賊の正しい在り方を主張した
蛇が大きな存在と小さな存在を解脱した
蛇がまっすぐだ天命を意識した


軽音楽を煙草ぱらりと遺書が落ちた
猫が横切るぱっと酒場の灯が消へる
トランプは投げた落葉は駆けだした
踊る嵐踊る天幕の曲馬團
さいころの知らぬ明日を賭けて寝る


“ふぐ”

河豚は矩銃を懐中にして安心しない
河豚は利息をこのお天気にとりに行く
河豚は路傍のものみなおのがものとする
河豚はもうかったと思うとたんに引掛った
河豚はおのが弾丸の暴発でてふちんになった


落花ふんぷん月が重量を増した         未発表

“さけとたばこ”

さけとたばこ雨も知らぬ風も知らぬ
さけとたばこ一杯の水が欲しかったか
さけとたばこ私は軽音楽が嫌い
さけとたばこ疾れた疾れたと哄笑した
さけとたばこ嘘は楽しいものである
さけとたばこそこに口紅だの白粉だの
さけとたばこ誰も英雄を信じてゐた
さけとたばこ辻占の娘に笑くぼがある
さけとたばこその日火葬場の匂ひした
さけとたばこ終る夜も終る


生きてゐるとの曲線じゃ(ち”ゃ)あるまいか


青空の辻で忘却が背延びした朝だ        未発表
青空の辻で忘却を拒絶した晝だ         未発表
青空の辻で忘却が溶けた夜だ          未発表


祈りと共に私は数理を捨てた          未発表
私と共に太陽こそ個獨ではないか        未発表


思想と赤く氷河の面(つら)になぐる書き
墓石がひとつ歴史を停めた形態(かたち)
白粉(おしろい)とフォークの眠る氷河の夢
重水素重水素重水素、阿片
月を背に私のメフィストフェレスと共に
風船は天に私は地上にいどむ
墓石崩れゆく時間も空間もなく         未発表

(大阪キャバレーメトロに遊び京都に宿泊す)

プリズムを抜けたメトロの無色の夜
おとこおんなドンドコドンとメトロの物質(モノ)
沈々と京都の夜の生きた證徴

狂人に水平線がポキンと折れた        未発表
狂人は夏の青空をなめたくなった       未発表
狂人にさい銭がバラバラと入るではないか   未発表