なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

父北村雨垂とその作品(85)

 今日は「父北村雨垂とその作品(859」を掲載します。

           父北村雨垂とその作品(85)

    冬

 冬 あまり佳い月で ブランコに乗た

 月を背に 吾が影を踏む 冬も 踏む

 遂に アポリア 冬のせせらぎ月在るばかり

 吾が道を 往く この冬を 流れ星

 冬は 月も 呪てゐるぞ 吠えろ 野犬


    正午  川研

 群集の悲劇が 正午の下で 喚(ワメ)く

 正午 そのとき 別に 驚きも しない

 宿命の正午が はっきり しない

 歩る正午 夢も 正午を歩かうとする

 追憶の足跡だ 私の正午だ

 虚構の苔が 私の正午の 衣裳(しょう)

 正午のあけぼの 黄昏(たそがれ)の 正午が 自轉

 下降 上昇 なんと 正午の うるさいこと


    青空の辻

 青空の 辻で 忘却が 背伸びした 朝だ

 青空の 辻で 忘却が 拒絶した 昼だ

 青空の 辻で 忘却が 溶けた 夜だ

 
    妻

 妻は 鏡に 空気の抜けた 乳房

 妻の 欠伸(あくび)に 天井が 壁が 在るばかり

 妻よ 夢を 抱け 青空を 歩るけ

 妻は おのが 小守唄で いつしか寝てゐた

 妻の掌(て)は あかぎれ 街には 口紅

  
    川研 349 1979年(昭和54年)1月号

 三本脚 で 世界への 意志 新年詠草

 鏡台に おまえ 捨てたか 蛇と鷲(わし)

 透きとほる 眞昼に 夜の 呟(つぶや)きも

 小春日の 静寂(しじま)に 水車 ギー と鳴る

 渦潮と駆ける 回帰や 常春(きづ)藤(た)の血

 フラスコに 呟(つぶや)く 神の 在りとせば