なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

父北村雨垂とその作品(95)

 父北村雨垂とその作品(95)を掲載します。

 三冊目の父の作品ノートが今日の掲載で終わります。4月26日の私の裁判の第一回口頭弁論が終わってホットしているところに、この連休が始まりました。連れ合いが3日から6日まで、神奈川教区が福島の15家族を横浜のみなと未来のホテルに保養のために来ていただくプロジェクト「リフレッシュ@かながわ」の実行委員会に関わっていますので、最初は私も何か手伝いができればと思っていました。けれども、5月4日に名古屋時代の教会で親しくしていただいた方の10年の追悼会の連絡が急にあり、連れ合いがいけないので私が行くことになりました。久しぶりの名古屋です。気にかかっている方の消息も確かめてきたいと思っています。

                父北村雨垂その作品(95)

     
     川研 407 1983年(昭和58年)11月

 涙腺の 乾いた彌陀(みだ)に 蜂の華(はな)

 十字架を胸に 天とも 大地とも

 葉鶏頭(けいとう)に晴れて 輝く庭の目刺し

 七(なな)いろに 雨を咲かせて 陽は西に

 朝(あした)と夕(ゆう)べに戦争と平和に 風車


     川柳研究 1984年(昭和59年)2月

 心経に 点の鳴るかや 森に鉦(かね)

 健やかに葦の育つも折るの風か

 時計も屋根も 神やほとけには遺らぬ

 黄金の鴉を夢の 愚かしや

 濃(のう)盆(ぼん)に 墜とす吾が身の薄みどり


     ふあうすと川柳年鑑 1984年(昭和59年)

 世界が 姙む夢の見た夢

 時計に跨って大音声に風を斬れ

 考えるブロンズに葦やがて去るも

 逢おうとや 銀河を跳び石に彼は

 孑孑に太陽の神 話が在るかも識れぬ

 宵暗に 病(わくら)葉(ば)還(かえ)る 音も無く

 葦(よし)芽(かび)と産む 靜止なき靜