なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

父北村雨垂とその作品(142)

 今日は「父北村雨垂とその作品(142)」を掲載します。        

            父北村雨垂とその作品(142)

   原稿日記「一葉」から(その25)

   試作 不慮の勲章      1980年(昭和55年)2月7日まで、未発表

 強力な太陽の援護を請けて

 豊満な 青緑(みどり)のトマトは
 
 食欲の 私に挑戦した そのように

 愚かなトマトが私の手によって

 母からけつ別する悲劇を

 全く考へて居ない様に 而し

 その時の現在は私の食欲は私の手に

 何の指令も與えなかった

 やがてトマトは、頬を赫めて

 反省を強要する太陽と共に

 私のどん慾な瞳を直視した

 そのとき 私の手には

 鋏みと籠が用意されて 居た



 無緑の墓石(いし)に 蒼白(あおしろ)い苔勲章か

                     1979年(昭和54年)7月20日

 これは詩と川柳との握手を試みたもので未完の作であるが、後日修正する用意に記しておいた。


           蛇     1979年(昭和54年)7月22日 未発表

 永遠のほかは何物も識ろうとしない 無数の蛇は 一様に 蒼白(あおじろ)い腹で狭い大地を歩るきつ

づける。衣更には赤や黄に汚れた衣裳を漂泊して 惜し気もなく捨てて省みようとしない。鶏小屋は野良

犬や猫の縄張りとあって專らコジュケイキジバトの愛の巣をねらい討ちにする。 豊富に水のある畦道

の雑草にひそんで好物のとのさま蛙に鎌首をあげて標的とする腰の抜けた彼等に 実に満足気な表情をす

る彼等にとって一番怖ろしいのは 藁草履をはいた 村の悪童達であった。道ばたの鬼あざみが 紫いろ

のまな娘を差し上げて 良い婿は居ないか探してゐる。


          運命  1979年(昭和54年97月23日  未発表

 私の胸に津波となって炎(もえ)えさかる 火の海は とうとう渦巻くくろ潮に突撃(とつげき)する。運

命だ この私の胸に 私の寸前の現在を 一粒の露(つゆ)ほどの顧慮もなく この業火の波を突き抜けよ

うと 心臓を鼓舞する。汗を流し 呼吸(いき)をつまらせて 而し やはり現在の寸前は依然として現在

の寸前で哄笑しつづける。私の過去の現在を振り返り、業火の波頭を歩るき續ける こうして私の人生を

もっとも多彩なものに仕上げる。

 
          トマト    1979年(昭和54年)8月5日 未発表
      
                (これは内容的には上記「不慮の勲章」と重なっています。)

 強力な太陽の援護を請けた豊満なトマトが

 私の食慾に挑戦した

 愚かな彼女は私の手によって母から別(わ)離(か)れ

 終末を全く考えていない様に 而し

 その時の現在は私の食慾は私の手に何の指

 令もあたえなかった

 やがてトマトは頬を赫らめて

 太陽と共に私の貪慾な瞳を直視した

 その時 私の手には 鋏と籠が用意されてゐた。