なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

父北村雨垂とその作品(48)

 一昨日に名古屋時代のHさんと品川でお会いし、夕食を共にしました。その方は、年に数度自分が家庭集会で話したことや聖書研究で書き溜めたものを、東京に来た折に、私に読んでくれるようにと、その原稿をわたしてくれます。昨日の日曜日にも品川のホテルから船越教会の礼拝に出席してくれました。その日船越教会では礼拝後、フリーマーケットを予定していましたので、フリーマーケットの売り物でもある五目御飯のパックを各自購入し、そのお昼をいただいて、Hさんは午後3時に大宮で待ち合わせしている人に会うために、船越教会を出て行かれました。Hさんにも私の裁判支援をお願いしていますが、Hさんは、この私の裁判に面白い関心を示してくださっています。その関心は、私の戒規免職処分撤回は勿論ですが、それと共にこのような裁判に対して裁判所が近代的な政教分離を超えて踏み込んだ判決を出すかどうかということです。この裁判は、そういう意味で司法のあり方を問う面があり、Hさんはむしろその方面に関心と興味をもっておられるようでした。
 さて、今日は「父北村雨垂とその作品」(48)を掲載します。


  父北村雨垂とその作品(48)

    前掲「狂人」以前の作で、私を始めて作ったもので、「道」に発表してある「私」としては最初    に掲ぐべきものを のちに寫す。

忘却の中で朝が背延びしてゐた私
言葉とともに貨幣を握ってゐた私
悲劇といふ涙に笑って寫ってゐた私
祈りの中に数理を拾ってゐた私
エロス唯々深淵であると思うばかりの私

 種について

種が私の愛と系譜を受納した
種が私の憎悪を否定して孕んだ
種が私の喜びを胎動をささやいた
種が私の悲しみを否定して握んだ
種が私の同情をようらんに安堵した
種が私の敵意を否定して握んだ
種が私の無限を希望して寝てゐた
種が私の恐怖を有限と断じて目覚めた

 存在について

目醒時計でその日その日を『発芽した存在』の私
絶壁に停つ『塵ひとつない存在』の私
白い毒薬に『黒い存在』の私
小波のそのひとつの『波頭が存在』の私
「驚き」に『月光より瞭らかな存在』の私
『か食の生理 飽食の生理が存在』の私
十字架と共に『歩き続ける 存在』の私
ニーチャと共に『こんとんとした存在』の私

(以下、特にテーマは掲げられていない。)

どん底に『影』友達はズラリ背を向けて
『金』は名工です巣美男美女
雄蕊と雌蕊で童話が生れたぞ
自覚のシルエットだよ孤影だよ
強慾の夢は錦旗を創る事か