なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(33)

 船越通信癸械魁  。横娃隠映11月27日  

・11月20日の日曜日は礼拝後、アドベントの準備をしました。船越教会の礼拝堂の前に飾られるアドベント飾りは、なかなか芸術性があり、素晴らしいものです。船越教会の伝統で、毎年同じ飾りなのでしょう。礼拝堂正面左側には、クリスマッスツリーが置かれました。その他クリスマスリースが入口の外ドアと玄関入口の壁に掛けられました。リースの骨組みは毎年同じもののようですが、教会の庭にある常緑樹の枝を切ってきて仕上げました。手際良く作業が進み、一段落した後に、お茶にしました。この日は、その後教区の核問題小委員会の集会に行く者、教会に残って27日予定のフリーマーケットの準備をする者、さらにはこの日空調の工事がありました。私は午後4時ごろまでは教会にいて、裁判の世話人会とかながわ明日の教団を考える会の準備をして、その後教会を後にして、二つの会を行われる紅葉坂教会に行きました。空調の工事に最後まで立ち合って下さったHさん、ご苦労様でした。

20日の17:30から紅葉坂教会で私の裁判支援の東京と神奈川の世話人と事務局の代表が集まって、支援会の会則や予算を検討し、12月3日の裁判支援会発足集会に備えました。その後引き続き、19:00から紅葉坂教会でかながわ明日の教団を考える会が行われました。かながわ明日の教団を考える会では、以下3点について協議しました。)槐7月13日付で岩崎隆議長名で教区の全教会伝道所に出された議長書簡(その中には洗礼を受けていない人への陪餐をしている教会は中止するようにという勧告がある)に対する「私たちの見解」を教区の全教会伝道所に配布したこと。教区の東日本大震災と東電福島第一原発事故による被災者救援活動について。私の裁判支援について、です。

・この週は、裁判のことで弁護士から資料を求められましたので、23日の水曜日の朝に船越教会に来て、裁判資料を確認し弁護士に郵送して、その日午前10時から横浜磯子教会でありました教区の拡大社会委員会に出席しました。この会では、主に東日本大震災の救援について協議の時を持ちました。神奈川教区では東日本大震災の救援活動は、教区としては奥羽、東北、関東の教区に震災後救援金を届けましたが、現地との関わりは社会委員会が中心となって、5月に現地の視察、9月、11月に新生釜石教会にボランティアを派遣しています。その他に核問題小委員会が中心になって来年度福島の子どもたちの疎開プロジェクトの一環として神奈川教区として50人位の子どもたちを保護者と共に数日こちらで伸び伸びと遊んでもらうためのキャンプの計画をもっています。予算が100万円くらい必要とするようですが、経費については教区と教団あるいは他団体の支援で賄うことになっています。福島の子どもたちが放射線量の高い地域で被曝の恐れを感じながら、戸外で自由に遊べない状態が続いていることを思いますと、このプロジェクトを何とか実現したいと思います。

・11月25日午後5時過ぎに、私の裁判の弁護を頼んでいますF弁護士からメールが入り、訴状を東京地裁に提出しました、という連絡を受けました。これでいよいよ本格的に教団を相手に戒規免職処分の撤回を求める裁判が始まります。私はこの裁判を通して教団という教会が違いを認め合った上で一つをめざす合同教会にふさわしい姿に立ち戻ることを求めていきたいと願っています。聖餐についての考え方が違うからと言って、十分な話し合いもなく、数の力で一人の教師を免職処分にするということがあってはならないと思います。そのあってはならないことが私の上に起こったわけですが、このことを通して教団がイエスの福音にふさわしい教会に変えられていくことを祈りつつ、この裁判を私なりに担っていきたいと思います。

・11月20日の礼拝説教は、マルコ福音書6章45-56節からメッセージを与えられました。このテキストの前には五つのパンと二匹の魚によって男5000人の群衆が満ち足りた食事をして、多くの残りがでたという共食の物語がありました。そこで経験したイエスと共に食卓を囲む恵の豊かさに弟子たちも与ったわけです。しかし、その後、弟子たちはイエスによって先に向こう岸に行くようにと言われ、舟でガリラヤ湖に出て行きました。ところが湖の真ん中にきたころで嵐に出会い、逆風を受けていくら漕いでも舟はなかなか進みませんでした。弟子たちは悩んでいました。その弟子たちの姿を見て、イエスは夜明けに、「湖の上を歩いて弟子たちのところに行き、そばを通り過ぎようとされ」ました。すると、弟子たちは、「イエスが湖上を歩いておられるのを見て、幽霊だと、大声で叫んだ」というのです。そのときイエスは、弟子たちに声をかけ、「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」と言われたというのです。この物語は、東北大震災を経験した牧師たちの座談会の記録を読みますと、その牧師たちの経験に通じるものがあるように思われます(「危機に聴くみ言葉~3月11日の後で教会は何を聴き、何を語るか~」『説教黙想アレテイア』)。その中で日本基督教団福島伊達教会の牧師の宮崎新さんが、以下のように語っています。「…十字架を前に逃げ出してしまった弟子たちに対して、イエス・キリストが『平和があるように』と言われたことです。そこに立つしかないのかなということは、よりいっそう鮮明になってきました。『平和があるように』とイエス・キリストが言っているのに、お弟子さんたちは『幽霊だ』とこわがっているわけです。その愚かさに自分を重ねつつ、でもイエス・キリストは『平和があるように』と語ってくださっている。そういう私が語り得ない、語り切れない福音を、み言葉を通してイエス・キリストが礼拝のたびに語っているところに立つしかない。自分が語り切れないという思いがあるけれど、語り切ってしまえば、自分の言葉になってしまうのかな、とも思っていますね。」と。自分の足場と思っていた土台が崩れても、「安心しなさい」とのイエスの言葉に支えられていることを思います。