なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越教会通信(53)と私の書簡

            船越通信癸毅魁  。横娃隠嫁4月15日         

・4月8日のイースター礼拝には、2人の子どもたちを入れて21名の礼拝出席者がありました。予定では礼拝後にテーマ話し合い「私の裁判をめぐって」をすることになっていましたが、急遽テーマ話し合いは中止して、イースターの昼食会に移りました。準備の段階では人数の割にはご飯が足りないのではと、近くのコンビニにすぐ食べられる「サトウのごはん」を買いに走りました。しかし、その必要がなく、その日の昼食はカレーライスでしたので、準備したご飯をみんなで分け合って食べました。食卓を囲むことは、それだけで心が開かれて一つを実感できます。特に船越教会の人数ぐらいがちょうどよいのかも知れません。イエスと罪人たちとの食事も、教会の大きなホールのような所に50人以上も集まっておこなわれたとは、とても考えられません。最後の晩餐でもイエスを入れて13人ですから、多くても20人くらいではないかと想像します。とすると、イースターの船越教会の昼食会が子どもを入れて20人ですから、私はカレーをいただきながら、福音書のイエスを中心に持たれた会食もこんな感じだったのだろうかと思いめぐらしていました。

・子どもが礼拝に参加すると、礼拝の雰囲気が変わるようです。大人だけの礼拝は静粛で、神さまとそれぞれの個人が向かい合う感じです。子どもが入り、大人のように静粛にしているのではなく、多少動きまわることがあると、神とそれぞれの個々人が向かい合うだけではなく、その子どもたちを含めて礼拝参加者みんなで神さまを礼拝し、神さまと向かい合っているように感じられます。私は原始キリスト教時代の家の教会はそのような礼拝だったのではないかと思います。礼拝する時、自分だけでなく、他者を意識しながら神と対面するというのでしょうか。

紅葉坂教会の礼拝には礼拝式の中に「幼児祝福」があり、その時礼拝に来た子どもたちを覚えて讃美歌を歌い祝福のお祈りをすることになっています。紅葉坂の場合、最初それは七五三に代わるものとして行われたようです。私は、イースターの昼食会後に行われた役員会で、船越教会の礼拝式の中にも今後「幼児祝福」のような項目を入れて、子どもたちが来た時に対応できるようにしたいという提案をし、役員会で承認されました。その形を考えて5月の役員会に提案してから、実行していきたいと思います。将来的には教会学校はなかなか難しいと思いますので、子どもも大人も共に守る礼拝の形にしていけたらと願っています。

・4月8日の役員会では、2012年度の教会総会の準備を主にいたしました。私にとっては、早いもので昨年4月から船越教会の牧師として働くようになってもう1年が経ってしまったということです。この1年間、私には免職問題で裁判もあり、船越教会の宣教に専心することはできませんでしたが、毎日曜日の説教は、夏休みとK教会に招かれて行った2回以外はすべて担うことができました。確実に日曜日礼拝が行われ、説教が語られているということが、教会の営みの基本であることを、この1年間で特に強く思わされました。私の説教は、まだ下から語るものであって、説教が本来神の言葉、神からのメッセージであるとすれば、私はまだそこに到達しているとも思われません。自分の実存を媒介にして、今ここで神が語りかけているメッセージを、自分の言葉で十分に取りつぐことができればと願っています。他の教会に出席している方が、船越教会の礼拝に来て私の説教を聞き、自分の教会の牧師の説教との違いを話していったことがあります。私は人間の側から語るが、自分の教会の牧師の説教は上から語るという感想を述べて行かれました。この方の感想には、上から語る説教への違和感があるように思われました。それは説教者本人の立ち位置への違和ではないかと思いました。説教は説教者の存在を通して語られる神の言葉ですが、牧師を職業とする人の中には、自分の存在とは遊離したところで聖書の説き明かしとしての説教を構成する場合もないとは言えないのです。信徒は自分の生活を背負って礼拝に出て牧師の説教を聞いていますので、牧師が自分の存在と生活をかけて語っているかを見抜くのでしょう。なかなか厳しいことです。

・幸いこの1年間で消えかかっていた船越教会の礼拝が少し息を吹き返してきました。それは礼拝出席者の統計にも現れています。2010年度は一回平均6.7名でしたが、2011年度は11.15名になりました。しかも男性と女性がほぼ半々です。少し男性が多い感じです。会計面でも恵まれました。けれども今後の課題は多くありますので、これからも一歩一歩前進していくつもりで取り組んでいきたいと思っています。

・この週は月曜日から火曜日にかけても私は船越教会に来て、仕事をしました。私の戒規免職処分の問題は裁判を通して教団の在り方を問うことが主眼です。そこで4月から5月にかけて教区総会が各教区で行われ、今秋開催の教団総会議員が選ばれますので、私は「私の『戒規免職処分』問題はまだ終わっていません!」という表題を封筒に書いて、全国の教団の教会・伝道所に資料を添えた書簡を送り、各教区総会で主体的な判断のできる教団総会議員を選んでくださいとお願いしました。2年前の前回の総会では、「議案ガイド」というマニュアルが200人位の教団総会議員に配布されたと思われます。そのマニュアルには各議案について、可決・否決の指示があり、その通りになりました。私の戒規免職撤回議案も出ていたのですが、そのマニュアルによって議事にものせられず、葬られてしまいました。しかも常議員選挙も全数連記で行われ、教団総会議員の約55%から指示された常議員がすべて選ばれました。これでは日本基督教団は多様性を認め合うことによって成立する合同教会とは言えません。私は主体的判断力を持って教団総会の議事に与る教団総会議員によって、日本基督教団を合同教会として取りもどし、教団自身によって私の戒規免職処分の撤回をするように訴えました。資料として同封したのは、「北村慈郎牧師を支える会通信1」、「議案ガイド」、教師委員会「戒規に関する内規」改訂前と改訂後です。今の教団では良識が通じるとは思えませんが、やることはやっておきたいと思って、この作業をしました。以下が私が出した書簡です。

日本基督教団諸教会・伝道所及び教会員・教会役員・教職の皆様へ

・主のみ名を賛美いたします。昨年3月11日に起きました東日本大震災と東電福島第一原発事故によってお亡くなりになった方々のことを覚えます。また、被災者の方々の命が守られ、生活再建の道が整えられるように私たちが出来ることをしていきたいと願うと共に、被災された方々の上に主の支えと導きをお祈り申し上げます。

・さて私は一昨年2010年9月21日付で当時の日本基督教団総会議長山北宣久氏の名で日本基督教団正教師の戒規免職処分を受けました。しかし、私はその処分を不当として昨年2011年11月20日付で東京地方裁判所日本基督教団を提訴し、本年2012年4月26日に第一回口頭弁論が開かれることになりました。なぜ私が裁判に訴えなければならなかったのかについては、同封の「北村慈郎牧師を支援する会通信癸院廖特に支援会の代表世話人の関田寛雄牧師の文章と私の経過報告をご覧ください(支援会通信が既に送られている教会・伝道所には重複になりますがお許しください)。

・私の経過報告の中で触れています教師委員会の戒規に関する「改訂前の内規」(仮処分申請のとき教団側から出してきたものです)と「改訂後の内規」及び、第37/23回教団総会で一部議員に配布されたと思われます「議案ガイド」も同封しておきますのでお目通しください。

・教師委員会の改訂前の「戒規に関する内規」では、当時私が主任担任教師をしていました紅葉坂教会の役員会も神奈川教区の常置委員会も私に対して戒規申立をする意志がありませんでしたので、私が戒規の対象になることはありませんでした。一委員会である教師委員会による「教団規則」とは言えない内規の改訂によって、宣教の現場である所属教会や所属教区以外の日常的な交流もほとんどない他教区の一信徒による戒規申立によって私は教師委員会で免職処分を決定されました。それを不服として上告しましたが、常議員会選出の審判委員会も教師委員会の決定を追認しました。しかも審判委員会の決定は委員5人のうち2:2のところ委員長の石橋秀雄氏のよる裁定で決まっています。

・第37/23回教団総会では同封の「議案ガイド」の通りにすべての議案が議決されていますが、そういう教団総会が教会会議と言えるのか、私にははなはだ疑問に思われます。この「議案ガイド」によって選ばれました、現在の教団議長は審判委員会の委員長、副議長は「戒規申立は誰でもできる」という道を開いた信仰職制委員会委員長、書記は教師委員会の中に作られた調査員会の委員長でした。従って現在の教団三役は私の戒規免職処分の貢献者です。

・この「議案ガイド」を同封しましたのは、今秋開催されます第38/24回教団総会に向けて、これから開催されます各教区総会で教団総会議員が選出されることになっていますが、是非この種の「議案ガイド」なるものに左右されないで自主的な判断で議事に参加できる方を教団総会議員に選出していただきたいと願うからです。自主的な判断力と信仰的な良心を堅持する教団総会議員を構成員として持たれる今秋の第38/24回教団総会において、日本基督教団が本来の合同教会としての姿を取り戻し、私の裁判の結果を待たずに教団が私への戒規免職処分を撤回し、私との間に和解が成立することを期待しております。

・どうぞよろしくお願い申し上げます。末筆ながら諸教会・伝道所及び、教会員・教会役員・教職の皆様の上に主の導きをお祈りいたします。
                      2012年4月10日
                          日本基督教団「免職」牧師
                               北 村 慈 郎

(追伸)私の裁判に関心をもってくださると共に、ご支援をよろしくお願い致します。なお裁判傍聴にも、特に東京近辺にお住まいの方々、いらしていただければ幸いです。