なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

第一回口頭弁論記事紹介と船越通信(57)

         第一回口頭弁論「福音と世界』記事紹介と船越通信(57)

「福音と世界」2012年6月号(50頁―51頁)に、4月26日の第一回口頭弁論の記事が掲載されましたので、お読みいただければ幸いです。
 表題は「『免職』牧師北村慈郎、法廷に立つ――統制と排除の病理に陥った日本基督教団執行部を司法はいかに裁くか」(編集部)です。内容は、―これまでの流れ―、―法廷へ―、北村牧師の意見陳述(当日の原告意見陳述が全文掲載されています)に続いて、以下のように記されています。

 裁判所:東京地方裁判所 民事第31部合議B係
  北村側弁護士:北村宗一、藤田浩司、岡田尚、今井史郎
  執行部側弁護士:島林樹、高野良子

 その後、両陣営による陳述と認否がされる。北村牧師サイドで主に答弁をするのは岡田尚弁護士、執行部サイドを弁護するのは島林弁護士。岡田弁護士が「司法の場で一宗教の教義の是非を問うのではない」「教団内のハラスメントについて問う」と主張するのに対し、「自立した特定の教団に司法が介入するのは不当」と島林弁護士。両者の議論が白熱し、島林弁護士が激昂して裁判長から窘められたのが印象的だ。初回の口頭弁論は予想外和やかな雰囲気で行われ、次回の日程を決定して閉廷した。次回は6月25日、但し、法廷での口頭弁論ではなく弁論準備手続きとなる。
第103号法廷は東京地裁で最大規模の法廷で、傍聴席が98席あり、弁護士が計6人、裁判官が3人もいることからわかるように、東京地裁では最大級の裁判である。決して小さな裁判ではない。ちなみに、同じ東京地裁の一階で午前中は小沢一郎氏裁判がなされ、無罪判決を勝ちとった。
 統制と排除の病理に陥ったこうした日本基督教団執行部のあり方は完全に「見せしめ」の論理であり、きわめて官僚的なやり方である。戦時下、国家がホーリネス教団だけを狙い撃ちにして「見せしめ」にし、他を萎縮させた手法だ。人間のパラダイムというのはそう簡単に変わらない。しかしこの病理は「死に至る病」ではないはずだ。この病を癒す術を、日本のキリスト者智慧を結集して考えることが急務だ。3・11以後、もう内ゲバをしている場合ではない。
「教会」的であるために、「反キリスト」である情景をしばしば各所で目にする。「私もあなたを罪に定めない」「裁いてはならない」。確かにこの態度は社会秩序を壊すものかもしれない。しかし、そうした「逆方向」の行動をとるのが「イエスの政治」だった。いやしくも「キリスト」教であるはずの私たちは、いったい何によって人を裁くことができるのか。そもそも人は人を裁くことができるのか。さまざまなことが問われる裁判だ。今後の動向も、随時お知らせする。


          船越通信癸毅掘  。横娃隠嫁5月13日         

・6日の日曜日は礼拝後テーマ話し合いを行いました。今回は4月26日に私の裁判の第一回口頭弁論がありましたし、4月22日に行いました2012年度の船越教会教会総会で承認されました2012年度の船越教会の「基本方針および活動計画」の中の主な課題5に、「北村牧師の免職無効裁判を積極的に支援する」という項目が入ってもいますので、何故船越教会という一個の教会にとって私の問題が教会の宣教と関わるのかについて発題させていただきました。私が船越教会の牧師(主任担任教師)として招かれていながら、私が教団によって免職された教師ということで、教区も教団もそのことを認めません。ですから、教区総会の議案書の教区総会議員名簿の船越教会の主任担任教師の欄は空白になっています。教団年鑑もそうです。教団年鑑では教師の名簿からも私の名前は削除されています。神奈川教区では問題の当事者ということで常置委員会による推薦議員として選ばれ、私は教区総会議員になっています。これからはじまる6月の教区総会も同じでしょう。神奈川教区は前回の船越通信にも本文を載せておきましたように、教区形成基本方針で違いを認め合って忍耐強く対話による一致を求めていくことを謳っていますので、教団のように私を排除切り捨てることはいたしません。私は今でも神奈川教区の寿地区活動委員会の委員長ですし、オリエンテーション委員会の委員長をしています。常置委員の中には私がこの二つの委員会の委員長であることを問題にして、教団で免職処分を受けた北村が委員長をしていることはおかしいと、何とかやめさせようとする意見があります。しかし、その意見の人が今のところ多数にはなっていませんので、私は二つの委員会の責任を持っています。さらに私を排除切り捨てようとする人は、私が教職なのか信徒なのか、信徒ならどこの教会に籍があるのかと、しつっこく問題にします。このように私を教会の仲間から排除切り捨てようとすることが、イエスの福音にふさわしいことなのだろうか、これが私の問題で私自身が最も深いところで疑問に感じている点です。他者の排除切り捨てではなく、神の前に自己相対化してお互いが議論し、お互いの中にある真理性に耳を傾けながら、弁証法的な正反合のようにより深い真理を求めて一緒に歩むというのが、主にある交わりではないかと思うからです。ですから、私の教団における戒規免職処分問題は、福音とは何か、教会とは何か、信仰とは何かという基本的な問題に関わっているのではないかと思います。船越教会の2012年度の宣教の主な課題の一つに私の問題が入っているのも、そのような意味合いがあるからだとご理解いただきたいと思います。

・テーマ話し合いの後、皆で食卓を囲みお昼をいただきました。その日の礼拝には久しぶりに大学生のKさんが出席されましたので、彼もいっしょに昼食をいただきました。昼食会後4月22日の教会総会で選らばれた4人の新しい役員(その内3人は前年度から継続、一人が今年度新しく加わりました)と私とで役員会を行いました。

・私は、5月8日(火)は神奈川教区教区常置委員会に、10日(木)は私の裁判の支援会事務局会(含神奈川世話人)に出席しました。支援会事務局会では、通信第2号発行と7月28日(土)午後1時から4時紅葉坂教会(交渉中)で私の裁判の「報告・討論集会」開催を決めました。6日の礼拝説教は「なんちゃって牧師の日記」(私のブログ)5月11日に掲載しています。