なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

父北村雨垂とその作品(106)

 今日は「父北村雨垂とその作品(106)」を掲載します。

 昨日の船越の礼拝に二人の新しい出席者がありました。一人は、私の戒規免職裁判に関心を持ってくださったカトリック教会の信徒の方で、もう10年以上教会には行っていないと言われていた方ですが、横浜の金沢八景にお住まいで、その方から紹介されたと言って来られた方です。もう一人は、岡山県総社市にお住まいの教団の教会の信徒の方で、東京に会があり、わざわざ船越教会の礼拝に来てくださいました。うれしいことです。

 船越教会は少人数の教会ですが、昨日掲載の「船越通信」の中にも記されてありますように、「少人数の船越教会だから本当のことができるのでは」という想いをもって、これからも取り組んでいきたいと思っています。遠方の方で首都圏に何か用事でいらっしゃることがあり、日曜日に重なりその日曜日がフリーでしたら、船越教会の礼拝に是非いらしてください。

             父北村雨垂とその作品(106)

     初歩 句屑

 感情の一線 引いた 生活史
 
 暮れ惜しむ 梅(うめ)一輪の 白い影

 酒で笑って 忘れけり 吾がいのち

 泥酔の果が 眞理を 口走り

 馬 遂に 汗の上から 鞭打たれ

 三ヶ日 忙しや母の 御姿

 突き出した 金銭(かね)にうっかり 手を伸ばし

 一家心中に 子がひとり 残り

 生きがいを知らぬ男に 児のありて

 蒼白いレールの艶に 血が匂う

 蒼空がある それだけの 朝をみる

 食らうことの外は 朱線が 引いてある

 妻よ 許せ 桜もすでに 散りはじむ

 涙のうを もらい 神々と 別る

 駅のマイクも 干乾びた午前0時

 雀 二羽 父を葬る日の庭に

 さまざまに いのちの躍(おど)る 夏なるかな

 土と語る いのちは 悲しきものにあらず

 明日を知らぬ いのちと思わねど 別離

 蛇を噛み切る 血みどろの 芯(しん)

 越し方の その深淵に 掌をかざす

 秋の鴉は 議事堂を 見て来たか


     月 五句
         (ノートには四句、以前この表題で二句があり、掲載したと思います)

 獨り居が 出来ることなら 月へ行く

 月に 厚味があった 薄(う)す雲

 假死の 地上を月光が 降りそそぐ

 月と海 月も 明けやすき夜と 語る