なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

父北村雨垂とその作品(38)

 昨日の日曜日は、船越教会で礼拝を終えた後、いつものようにみんなで(みんあと言っても昨日は9名でした)お茶を飲んで歓談しました。このところずっとこのお茶の会には、5月から熱心に日曜日一度も休まないで礼拝に来ている方が、教会の庭にオクラを植えてくれたので、その収穫があり、毎日曜日と言ってよいほどお菓子にゆでたオクラが添えられます。昨日はオクラの他にホーレン草のようなものもありました。2名の方が早めに帰りましたが、私の他に5名の方は、教会の台所や庭の掃除をはじめて、午後2時半頃までいました。その間私は礼拝に出席したある方と2回の牧師館で面談していました。その方は船越教会のことをいろいろ尋ねてきました。知っている限りはありのままにお話しました。みんなが帰った後、鶴巻に今週の後半に連れ合いの友人が二人来て泊まっていきますので、船越に持ってきていました掛け布団2枚を小さくして鶴巻
に持って行きました。それを鶴巻に置いて、18:00から早稲田教会で開かれる会に出かけました。少し遅れてしまいましたが、何とか間に合いました。その会で聞いたあることで、私は鶴巻に帰ったら体に力が抜けてしまい、その日の朝からほとんど食べていなかったので、空いたお腹を満足させると、すぐバタっと倒れて眠ってしまいました。
 さて、今日は 「父北村雨垂とその作品(38)」を掲載します。
 
父北村雨垂とその作品(38)
 
秋の生活  十三、十二発表(昭和13(1938)年12月であろう)
 
何となく笑ひそこねて秋を見る
黒染の汝を秋と應へたり
黙すればなほ怖ろしく秋迫り
闖入者そんな気持に秋が見え
秋や踏む落葉の中に青きあり
慾深き人の微笑を秋がみる
気狂のこころに近く秋澄めり
黒い土秋の下から生れたか
人絹の白さに秋の灯が点じ
子は右を秋は左の道をゆく
辛辣な蜘蛛の糸より秋の陽光
従容と服す大地に秋の顔
至極平凡に時計が秋を鳴り
秋の心臓のさてさて雁来
都落ちさうした雲に夜の秋
音を喰ふ秋のたそがれの個性
水底にゐて水を見ぬ秋の石
来年を地下一寸に秋が置く
讀みかけた一冊秋の枕もと
街路樹をさいなむ雨も秋なりし
秋のおどけた表情に蔓珠沙華
惨劇を描けと言うか秋の晝
もの終る白い煙りで秋暮れる
草や木は秋へ好意の色ならじ
さかずきに秋を寫せり灯がひとつ
秋を芽が二寸伸びたり不憫さよ
老人は悟れた秋も見えにけり
家計簿に赤字は秋の ( たわむ )れか
死ねもせぬ秋を泣けとて朝が来る
吾れ憎むこころなけれど去れや秋