なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

牧師室から(5)

 今日は「牧師室から(5)」を掲載します。これも大分前に書いたものですが、読んでいただければ幸いです。

 昨日は久しぶりに国会前の辺野古新基地反対座り込みに行ってきました。いつも座り込みの用具や垂れ幕などを、預けている所から座り込みをしている議員会館前の道路まで持っていってくれる人が所用で、時間までにこれないのでということで、私がその役割を担うことになっていたらです。しかし、私のほかにも二人の方が来て下さり、3人で座り込みの準備をすることができました。

 準備を終えて、しばらく座り込んでいましたら、通りがかりの青年が、ボソッと、「米軍より問題は自衛隊だよ」と言って、通り過ぎていきました。また、しばらくしましたら、目をつぶって座り込んでいた私に気づいてか、かつて一緒に教団の常議員をやっていたwさんが、議員訪問をしてきたと言って、私に声をかけてくれました。お互いにこんなところで会うのは奇遇だということで、しばらく話し合いました。私の裁判のことを聞かれ、現在の状況と問題点をを私の方から話し、その後現在の教団の状況についてwさんの意見を伺ったり、私の現状認識をお話したりして、大分長く状況判断と意見交換のような時を持ちました。

 国会前に座り込んでいると、時々思わぬ方との出会いを与えられます。この日も上記の他に、沖縄でジュゴンをはじめ自然保護の運動をされているSさんが、こちらにきたと寄っていかれました。また、この国会前の座り込みの参加者の中には、もう80歳を過ぎていて、40年近く反原発の運動に積極的に関わっておられるSさんという方がいます。この日もSさんは座り込んでいました。すると、市民運動家と思われる二人の女性が、今問題になっている大飯原発再稼動の阻止を何とか実現したいということで、Sさんと熱心に話をして、座り込み終了と共に、3人ででかけていきました。

 政治は数の力によって動くことが多いと思いますから、革命が起きる状況が乏しい場合は、少数の市民運動は、常に数と力によってかき消されがちです。しかし、国会前に座り込んでいますと、平和を願い人権の確立を願うその思いは、たとえ少数の人たちを通してであっても、受け継がれていき、いつか社会を変えていくエネルギーに繋がっていくだろうことを確信できるのです。自分の思い込みに過ぎないかもしれませんが、不思議なものです。
      
                  牧師室から(5)

「しかし今や」(口語訳、新共同訳では「ところが今や」)、これはローマの信徒への手紙3章21節の冒頭の言葉です。ルカによる福音書のイエスは「時の中心」(コンツエルマン)と言われますが、パウロがローマの信徒で描くキリスト(イエス)も時の中心のように思われます。人間の歴史は過去がイエスにおいて集約してそこで一度終わり、イエスから全く新しい歴史が始まるというのです。罪と死の人類史が一度決定的にイエスにおいて終わり、イエスによって救済された人間の歴史が新たに始まり、その完成は終末ということでしょうか。私たちの現在は、既にイエスによって終った過去の罪と死の人類史の影響下にありながら、イエスによって救済された新たな人間の歴史にあるというのです。

 私はこの頃この「しかし今や」という感じを以前よりも強く持つようになりました。段々年を重ねて、何をやってもダメという諦めの境地に近づいたのか、人生の終わりが実感できるようなって、一日が貴重に思えるようなり、時間の一回性に敏感になってきたからか、よく分かりません。ただ言えることは、以前はどちらかというと過去の引きずりにどう決着をつけるかに自分の意識が向いていたように思いますが、最近は過去から未来に自分の意識の重点が移ってきたように思われます。これも単純に年のせいかも知れません。でもこの変化は自分の中での事実です。すべての人と共有する未来を追い求めて残された時間を過ごせたら本望に思います。  
                                     (2004年3月)

 この牧師室からを書く数日前に、イラクで日本人3人の人質事件が起きました。予想されていたこととは言え、来るところまで来たという実感を持ちました。この人質事件で気付かされたり、考えさせられたりしたいくつかのことがあります。先ずフリーライターと称する18歳の青年の存在です。高校の卒業旅行でベトナムに行って、かつてのベトナム戦争のときに米軍の枯葉作戦によって受けた被害を実際に自分の目で見て、イラク劣化ウラン弾の被害に関心を向け、高校時代から市民運動を起こし、その代表となっているということです。今回もNGOの関係者として危険を冒してまでイラクに行ったということのようです。またもう一人の女性は前からイラクの子どもたちの教育支援のNGOの働き手として活動していて、今回もそのためにイラクに行ったということです。私たちの中にそういう人たちがいるということは嬉しいことですし、大変勇気づけられもします。けれども一方世界の状況はそのような一市民の行動がおおらかに許容されるほど平和でもありませんし、そういう市民の行為が逆手にとられて紛争の道具や手段に利用されるという現実があるということも、今回の事件で否応なく突きつけられました。そうであるとすれば、現在のイラクの問題を引き起こす資本や国家、民族という社会的な諸関係や構造の組み換えをどうしたらできるのかという課題が、私たちにとっての緊急かつ切実なものとしてあるということではないでしょうか。    
                                      (2004年4月)

 自然から教えられることの一つは、命あるものはどんなに死んでいるように見えていても、必ず命の果実を結ぶということです。今は新緑の美しい季節です。数ヶ月前までは枯れ果てて死んでいたように見えた木々が、生命の横溢そのもののように青々と葉っぱを繁らせています。反対にどんなに美しく咲き誇っている草花でも、寿命という命が尽きる運命にあるものは必ず枯れ果ててしまいます。見栄えによっては、それが命のものなのか、死のものなのかを、判別するのは私たちにはなかなか難しいものです。人間の営みもまた、同じことが言えるのではないでしょうか。ローマ帝国が滅びると、栄華をきわめた全盛期においては誰も信じなかったでしょう。しかし、歴史は人間の営みを篩いにかけて、一時的なものと永続的なものを選別します。時代や社会が違っても、何時何処においても変わらず、いつまでも残るものがあるとすれば、それこそ人類の歴史の底流となって、その時代と社会を生きる者たちに命を送り続ける命そのものでしょう。パウロは、「いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この3つである。このうちで最も大いなるものは、愛である」(Iコリント13章13節、口語訳)と語っています。信仰と希望と愛は、樹木や草花に例えれば、自分自身というよりは彼ら彼女らを包む大地であり太陽の熱や光であり風や空気なのでしょう。信仰・希望・愛という命との接点を与えられて、自分らしい命の花を咲かせたいものです。            
                                      (2004年5月)

 最近芹沢俊介の本を何となく読んでいて、改めて普段自分が他者に向かって語っている言葉が気になりました。その本の中で芹沢は「普通」という言葉の用いられ方について書いています。一つは「不登校」の子に対して、親が「普通の子は学校に行けるよ」とか「普通の子は学校を休まないよ」という言い方をする場合が多いことに触れています。この言い方にはある種の押し付けがましさがあり、このような使い方をされる「普通」には、否定性だけでなく権力性も含まれていると言います。普通という枠の中に入れという要求がこの言葉の中に込められているからです。もう一つ、この種の「普通は」という言い方には、主体が消えてしまうと言うのです。本当は自分が要求しているのに、普通はという言葉を主語に使うことによって、自分が現実に直面することを回避してしまうからだと。それとは対照的に、たとえば私たちが誰かにいろいろと子どもの心配事を訴えたときに、「でもそんなの普通じゃん」と対応されると、わりあいホッとするというところがあるのではないかと言うのです。この場合は、投げかけた心配事を、スッと受け止めてもらっているからだと。読んでいてなるほどと思わされました。

 特に前者の「普通は・・・」という言葉の遣い方を私も日常結構しているのではないかと反省させられました。案外私たちはそのような言葉遣いによって、他者に対して権力的に振る舞っているではないでしょうか。       
                                      (2004年6月)