なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

牧師室から(6)

 今日も「牧師室から(6)」を掲載します。

 今日はこれから藤沢で、わたしの裁判の支援会事務局の方々で、通信2号の発想作業があり、これから出かけます。

                 牧師室から(6)

 いろいろな事情で多くの人が経験していることをその時には経験せずに、後から経験するという人があります。戦争時代青年期を過ごした人が、国家の戦争行為に巻き込まれて自分のやりたかったことが出来ず、戦争が終って既に大分年を取っているのですが、青年時代の自分の思いを実行する人もいるでしょう。既に天上にあるNさんが七十代後半になっていた頃に、戦争で奪われた青春時代を取り返すために自分は生涯青春ですとおっしゃっていたのを思い出します。

 先日神奈川教区の常置委員会あり、その時の常置委員会では「しばらく教団と距離をおく」と宣言しています沖縄教区と話し合うために、沖縄教区が受入れてくださるならば、神奈川教区から沖縄に訪問団を派遣するという私の提案が可決されました。6月26日に開催されました教区総会で今秋開催の第34回教団総会に出す「沖縄教区との関係の回復を図る」議案(提案者北村)が可決されたこともあったからでしょう。常置委員会ではめずらしいことです。以前教会だよりにも書きましたように、私が教団教区に前向きに関わるようになりましたのは、約2年前からです。東神大から追い出された友人に担ぎ出され、断りきれなかったからです。自分としては消極的な参与なのですが、段々のっぴきならなくなってきました。多くの方々が苦悩しながら経験された教団教区の課題を、その時は担いませんでしたが、今遅れて担っている自分が不思議です。
                                     (2004年7月)

 久しぶりに幼児の仲間に入れてもらいました。日曜学校の夏期キャンプでのことです。今年の夏期キャンプは8月8日(日)から9日(月)にかけて、教会を会場にして行われました。すべて年齢別のグループ毎に行動しましたが、私は準備のスタッフ会で幼児のグループの担当にしてもらっていたのです。幼児のグループは子どもたち8人(内1人は乳児)、スタッフ4人のグループでした。分級では模造紙にボディーペインティングで作った作品を切り取って、小さな魚たちが一緒に集って大きな魚の形になって、自分たちを食べるまぐろを撃退するという「スイミー」という絵本の一場面を作りました。思ったよりもよくできましたし、それなりに子どもたちも最後まで作業に携わりましたので、分級としても何とか成り立ち、よかったと思っています。

 乳児をあやしたり、数人の子どもたちにまとわれつかれたり、3歳直前の女の子からは、自分のおへそはここにあるよ、とおへそを見せてもらったりもしました。また、ある子は突然パチンと私の顔をぶち、少し赤くなった私の顔を見て、あ、ビールを飲んだときのお父さんの赤い顔と同じだ、と喜んでいるのです。大人の世界がもっているある種の規範としてのタブーは、幼い子どもたちには全く関係ありません。まさに自由の王国です。何が起こるかわかりません。幼い子どもたちの行動は予測不可能です。
でもエネルギーに満ちあふれ、少し疲れましたが、元気がもらたえて、楽しい夏期キャンプでした。                                     (2004年8月)

 先日召天されましたJさんの前夜式、葬儀式での私の式辞について、今までにはない程多くの方から反応が寄せられました。会葬者の方々に何か伝わるものがあったのでしょう。Jさんは何でも率直に自分の思ったことを言葉や行動にされる方でしたので、そのことが人には躓きとなることもありました。葬儀の時には触れませんでしたが、現在の紅葉坂教会の聖餐式が未受洗者にも開かれた聖餐式になった一つのきっかけもJさんの行為にありました。JさんはI牧師の時代に聖餐式が行われた礼拝後、洗礼を受けていない中高生が陪餐したのを知って、その中高生に聖餐式は洗礼を受けた者が与るもので、未受洗者は与れないのだと注意したのです。中高生は聖餐式の中で陪餐者を限定する言葉がなかったので、誰でも陪餐できると思ったのでしょう。Jさんも中高生もどちらも間違ってはいません。教会が曖昧な形で聖餐式を執行することが原因でした。私が紅葉坂教会の牧師になってから、役員会ではこの問題を教会の課題として取り上げ、約3年間議論を積み重ね、未受洗者に開かれた聖餐式の執行を教会総会で決議し、現在に至っているのです。その中高生には厳しかったと思いますが、Jさんの率直な行為がなかったならば、教会として聖餐式の問題に取り組むことはなかったかも知れません。いつもいつも自分の思いを率直にぶつけることがよいかは問題ですが、率直な発言が閉塞状態に道を拓く契機になることもまた事実です。                                         (2004年9月)

 第34四(合同後19)回教団総会が近づいてきてはじめて私は痛切に一つの悔いを感じています。それはこの教団総会に沖縄教区が議員を送らないことを決議した5月の沖縄教区総会を傍聴しておきながら、その後に開催された6月の神奈川教区総会で沖縄教区が議員を送らない決定をした今度の教団総会開催の是非を問題にしなかったことです。教団総会が近づいて私たちは沖縄教区を抜きにして今度の教団総会を開かせてよいものだろうか話し合っている状態です。感性が鈍いというか、事柄の本質を見極める力に欠けるというか、結局沖縄の問題が自分の問題になっていないというか、恥ずかしい限りです。マジョリティーの陥り易い体質なのかも知れませんが、叫びを挙げている沖縄にそうさせている私たちの罪性に私たち自身が鈍感なのです。

 差別の問題でよく言われるのは、足を踏まれている側は痛いので叫ぶが、踏んでいる側は相手の痛みが分からずに何の痛痒も感じないで平然としているということです。現在の日本基督教団の主流派(?)はまさしく平然とした差別者に居直っているとしか思えません。法の力で沖縄教区の叫びを踏みにじって行こうとしているからです。これはかつて東京神学大学が国家の枠組みの中での大学を守るために半分の学生を切り捨てた姿勢に通底しています。福音宣教をかかげる教会としては現在の教団は退廃以外の何物でもありません。今度の教団総会ではそのことをきちっと突きつけなければと思っています。
                                   (2004年10月)