なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

父北村雨垂とその作品(107)と裁判支援会通信2号発送

 今日は「父北村雨垂とその作品(107)」を掲載します。これで4冊目のノートからの写しが終わります。まだ数冊のノートがありますが、多分重複している句が多いと思いますので、調べながら少しずつこのブログに掲載していきたいと思います。


               父北村雨垂とその作品(107)

    
     川研 癸械毅機1979年(昭和54年)7月

 神のミイラと 握手を拒む ンーチェの骨

 プラトンの 蒼い狂気と ソクラテス

 秒針と鼓動が 零を問い詰める

 狡龍の脚が おたまじゃくしの足が 現在(いま)に

 チグハグなコトバと歩るく 咽喉佛


     川研 癸械毅供1979年(昭和54年)8月

 風と共に 朝の破片が 起ちあがる

 ニーチェの狂気プラトンの 静かな狂気
 
 そのひとに 世界の鬼は 胃(い)が不消化(もたれ) 

 尾の消えた 蜥蜴 故里を蹴り去る

 遂に踵を サル奴眞直ぐ 地獄行き


     川研 癸械毅掘1979年(昭和54年)9月

 茅ヶ崎の狐は 杖で おまえもか

 背を曲げて 光る峠を とつおいつ

 祭壇の羊は 白く 煙に乗り

 またしても 眞珠の臍を 見てしまふ

 Aristoteles(ニコマコス) 僕も鬼です 今日は



 さて、昨日は藤沢の市民運動のサポートセンターで、私の裁判支援会通信2号を発送しました。約1100通になりました。現在まで支援会の正会員、賛助会員が約700名います。まだ少しずつ増えています。沢山の方々に支えられ、また信頼できる4人の弁護団を与えられ、裁判を続けていくことになります。長丁場になると思いますが、この私の裁判を通して私の戒規免職撤回を勝ち取ると共に、強権的な日本基督教団の執行部の姿勢を問い、ゆるやかで創造性に富む合同教会としての日本基督教団の形成に力を尽くしていきたいと思っています。

 通信2号に掲載してあります、4月26日の第一回口頭弁論の後の報告集会での、世話人代表の関田寛雄牧師の挨拶要旨を下記に転載しておきます。

          世話人代表 関田寛雄さんからの挨拶、
              (2012年4月26日第一回口頭弁論後の報告集会にて)

  北村裁判への意義について、

 はじめに
 
 本裁判は日本キリスト教団を真にキリストの教会として成熟せしめるための真摯なる努力である。

1、日本キリスト団の教師としての身分の保証をすること。「教会法」の名の下に非人間的な強権的な身分の侵害があってはならない。教会法は神聖なものではない。用い方によっては、悪魔の法になりか  ねない。「法」なるものの運命的限界である。

2、戒規適用に当たってはその理由を明文化し、公表の上、審議をすべきであり、密室的な議論で結論を出すべきではない。

3、聖餐執行に関する開かれた神学的な論議の場を設定し、継続して頂きたい。従来信仰職制委員会における「継続審議」としての申し送り事項であったものが、ある委員会以来、消滅させられている。その委員長は(当時の)総幹事であると聞いている。

4、現教団の策略的党派主義を是正し、教団総会の教会会議としての正常化を求める。

5、律法主義的ドグマ主義的福音理解を改め、聖霊の賜る一致を目指し、賜物の多様性を生かし、日本に遣わされたキリストの教会としての使命に生きること。

むすび 教団の「戦責告白」の歴史的意義を再確認すること。

 勝っても負けても御意が行われ、教団がキリストの教会にふさわしきものとなる事を求める。善き変化を求める運動には歌がつきものである。「主われを愛す」の一節を歌いたい。