なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(49、復刻版)+α

 最近時間がある割には、本を読むペースが落ちてきています。裁判のことがあり、その立ち上げで時間をとられ、そこに心が向いているからでしょうか。本年4月から自分の生活が、週の前半が秦野市の鶴巻に後半が横須賀の船越教会にというように、二分されているのにまだ体も心もついていかないでいるからでしょうか。いろいろな理由が重なっていると思われますが、そろそろ自分として考えてきた晩年の課題に向って少しずつ歩んでいきたいと思っています。私の晩年の課題は、バルトを読み直すことと、日本の近代以降の歴史と日本の教会や信仰者・神学者の思想とその生き方を追ってみて、自分なりの日本における教会論(教会建設論)をまとめてみたいということです。随分欲張った課題を設定していますので、できるわけがないという思いもありますが、高い目標をもって歩むことも老いへの人生を生きる者には必要ではないかとも思いますので、ぼちぼち取り組んでいきたいと思っています。

 さて、なかなか本を読む方に体も心も向かない中で、鶴巻と船越教会の往復の電車で吉本隆明の『「情況への発言」全集成,1962-1975』(2008年、洋泉社)を読んでいます。その中にある「自立」についての吉本の言葉を紹介します。「〈自立〉は、すこしも幸福ではない。・・・・なぜなら、自分ができないことを、他人がしてくれるなどということを、まったく信じないことから出発し、なんでも自力でやってしまうよりほか、仕方がないと思い定めてきたからだ。それは〈自我〉を至上物に祭り上げることなどと、なんのかかわりもないことである」(249頁)。これを読んで、自分ができないことを「他がしてくれると思い込むこと」は、甘えの何物でもないということを、改めて知らされたように思いました。

 今日は、「黙想と祈りの夕べ通信」(49、復刻版)を掲載します。


  黙想と祈りの夕べ(通信 49 2000・ 9・3発行)

 27日の礼拝後に「平和について考える有志の会」が開かれました。11名が参加し、N兄の発題を聞き、その後参加者による意見交換をしました。抑止力としての軍備の必要を主張するN兄は、現在の自衛隊がどの程度の軍事力となっているのか。また在日米軍にとって神奈川県に属する横須賀、厚木基地の重要性について、資料に基づいて話してくれました。紅葉坂教会の近くにも、横浜ノ-スドックがあり、この基地は米軍の行動上、極めて重要な補給基地であること。〈このノ-スドックからは、補給物資、武器、弾薬が国道16号線(いざとなればJR横浜線)により、米軍相模補給廠へ運ばれてさらに、横田基地へ運ばれたりしている〉ことなど。日本の戦後の平和運動は、「自衛隊反対」「安保反対」と叫んで来たが、その結果、自衛隊が小さくなっただろうか、米軍が撤退しただろうかと問いかけられました。日本の防衛予算はNATO換算で世界第二位にまで膨れ上がっている。年間予算7兆円とすると、一人当たり約7万円になる。自衛隊反対!と叫ぶなら、納税拒否闘争をしなければ筋が通らないのではないかと。抑止力としての軍備については、現在では軍備が抑止力として機能せず、かえって軍備を所持していることの方が危険性が大きいのではという意見もありました。ただ事実を事実としてしっかりと認識しておくことは必要だろうというのが大方の意見で、今後も機会を作って、このような会を続けられたらということになりました。

 この有志の会の報告と、8月が終わろうとする時に当たって、平和への思いを8月だけではなく、これからも持ち続けて行きたいと、「分かち合い」の時に私は申し上げました。

 続いて一人の姉妹が、自分は今日の日曜学校の礼拝で話を担当し、その中で原爆の証言集のような「この子らの夏」(朗読劇の台本)の一部を朗読させてもらった。以前名古屋で、朗読の仲間と何回か「この子らの夏」を上演したことがある。最初は感動してやっていたが、その後シラケてやめてしまった。戦争に対する被害者意識ではなく加害者の問題を考えるようになってからである。しかし、先日作家井上ひさしヒロシマへのこだわりをテレビで観て、思いを新たにした。井上ひさしは20年以上原爆の証言集を広島に行って読み続けていると言う。

 原爆が落ちたとき中学生で、新型爆弾が落ちた位にしか思わなかった。その後、広島を訪れて、なぜ自分が助かり、この人たちが死んだのかという素朴な問いが起こった。原爆を自分はこの人たちと同じように受けられないが、その証言集を読むことはできる。いろいろな人の証言集を読んでいくと、何もしていないいたいけな子どもまで原爆は死に追いやった。そのような人の死はキリストの十字架と同じではないか。

 そのように語る井上ひさしから、「この子らの夏」も、核の問題として語り伝えることによって、原爆で亡くなった人たちを生かせるのではと自分も思えるようになった。自分としても、これから核の問題、原発も本当に必要なのかしっかり見直し考えていきたいと思うと。

 また、別の姉妹が、上記の姉妹の話を聞いて、旅行中誰とはなしに「今日は8月15日よね」という言葉が出たこと、自分の兄たちが俺たちが死ななければ戦争は終わらないと言っていたことなどを話され、平和の大切さを想わされた。一人一人がしっかり考えて、言葉にも出していかなければと思うと言われました。