なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(254)

船越通信癸横毅粥 。横娃隠暁3月27日    

・「 死から生へ、誤りから真理へお導きください。絶望から希望へ、恐怖から信頼へお導きください。憎

しみから愛へ、戦争から平和へお導きください。私たちの心や、世界や、宇宙を、平和で満たしてください。

平和。平和。平和。」(マザー・テレサの祈り)。このマザー・テレサの祈りの言葉は、今年のイースター

礼拝への案内のハガキに書かせてもらったものです。

・20日(日)は礼拝後少人数でしたが、何時ものようにお茶を飲みながら懇談の時を持ち散会しました。

私は22日(火)、23日(水)に予定していた支援会の通信第16号の印刷と発送の準備を船越教会で夕方

までして、鶴巻に帰りました。翌日の21日(月・祝)は教区の平和フェスタが翠ヶ丘教会であり、鶴巻か

ら連れ合いの荷物を持って行くことになっていたからです。平和フェスタは午前10時受付、10:30か

ら礼拝ですが、その前に各委員会の展示や販売物品を割り当てられた場所に準備しなければなりません。私

は寿地区活動委員会と基地・自衛隊問題小委員会の委員ですが、二つの委員会のブースではなく、連れ合い

が責任をもっていたうどんの販売係を、礼拝後から午後1時に始まる講演会までの時間引き受けました。です

から、各委員会のブースを回ることもできず、それぞれのブースがどんな状態であったのか、顔を出す人が

多かったのか少なかったのかも全く分かりませんでした。後で聞きましたら、それぞれのブースには結構人

が来て、よい交流ができたということでした。私がいたのは2階厨房と食堂となったホールの間にあるカウ

ンターのところで、厨房では、連れ合いが関わっている辺野古新基地反対の大きなうねりの会のうどんと、

翠ヶ丘教会の方々による牛丼が準備されていて、希望する人に牛丼300円、うどん250円で販売されました。

ホールの一角には五目ずしが販売されていて、階下ではタイ焼きそばと韓国のチジミが販売されていました。

五目ずしも、牛丼も、うどんも完売でした。中には5種類すべて食べた人もいたようでしたが、私は牛丼と

うどんをいただきました。午前の礼拝は性差別問題特別委員会で企画した式文礼拝で、説教はなく、平和を

求める詩や文章の朗読と賛美が繰り返されました。分かり易く参加型の礼拝でしたので、世代を超えた方々

が一つになれたように思われます。午後のNさんの講演「平和を作り出す人は幸いである~安保法制後のこ

れから~」では、講師のNNさんが現憲法の条文を何も見ないで次々に引用しながら、基本的人権と平和を大

切にする憲法の豊かさについて語ってくれました。お昼ご飯を済ませた後の午後1時からの居眠りの出易い

時間帯で、講師もそれを気にしながら講演しておられましたが、私は土日と寝不足状態でしたので、睡魔に

勝てず後半はほとんど居眠りをしてしました。Nさん、ごめんなさい。平和フェスタ参加者は120人弱と

いうことでした。私はフェスタ後船越教会に行き、支援会の通信発送作業の準備をしました。

・22日(火)は私の他4名の方が支援会通信の発送作業に来てくださり、約1,000部を封筒に入れて、

ヤマト運輸のDM便にして、その日の内に発送できました。23日(水)も発送日の予定に入れておりました

が、1日だけで終えることができました。今回は、2月20日に行われたコイノーニア出版記念対話集会の

報告を中心に通信第16号を編集しました。ただその集会で発言して下さった二人の方には別紙資料を加え

なければなりませんでしたので、通信だけでも相当の分量になりました。その他にも同封する文書がありま

したので、今回は何時もより封筒に入れる文書が多くなってしまいました。支援会としての次回の集まりは、

4月16日(土)13:00~16:00、紅葉坂教会での第4回総会になります。覚えてくださり、支援会総会に出席

していただければ幸いです。

・24日(木)には午後4時半から高座渋谷教会で教区の基地・自衛隊問題小委員会があり、委員の一人とし

て私も出席しました。委員会では毎回厚木、座間・相模原、横須賀の状況報告があります。それぞれの地域

の運動体から月報(会報)が出ていますので、それらを参考にしながら現状報告をしています。その他今回

は年度の最後の委員会でしたので、一年の委員会活動のまとめの報告書を作成確認しました。

・25日(金)は午後6時半から横浜の馬車道にある関内小ホールで、「辺野古の埋立てを止めよう!~沖縄

と神奈川を結ぶ3・25講演集会~」がありました。この集会には沖縄から山城博治さんがスピーカーとして来

るので、私も参加しました。先月23日、24日の二日私は辺野古のシュワブ・ゲート前の座り込みに参加

し、その後3月4日に国と沖縄の和解が成立して、現在辺野古新基地建設の工事は中止していますので、山城

さんの話を聞きたいと思ったからです。山城博治さんは、心の人です。理論家というよりも実践家です。こ

の日の演題は「今辺野古で起こっていること~現地報告と訴え~」でした。現地報告も時系列を踏まえての

客観的な出来事の報告ではなく、辺野古の抗議行動の中で山城さんが感じた直観に基づくものでした。その

中で私が印象に残ったのは、那覇から年金生活者の方がシュワブ・ゲート前の座り込みに来ていて、その方

の年金が月9万で、一度座り込みに来るとバス代1、000円と昼のお弁当代で1,500から2,000円出費する。そ

ういう方が月に何度も来ていらっしゃるという。ネット右翼辺野古に座り込みに行く人間には日当が出て

いるとキャンペーンをはっているが、とんでもない。そのキャンペーンに乗って、日当2万円を要求した青

年が辺野古に来たことがあるそうだが、そんな日当など何も出ないと言ったら、来なくなったという。この

那覇からいらっしゃる年金生活者の方のことをお聞きして、ますます辺野古新基地建設反対という辺野古

の抗議行動に賛同している沖縄の方々は、自分の生活と命を賭けているということが伝わってきました。

500人、1,000人、2,000人がシュワブ・ゲート前に座り込めば、新基地建設は止めることができると、山城

さんは確信をもって語ります。ヤマトからも是非一人でも多くの人が来てほしいと、山城さんは訴えてお

られました。資本と国家権力にからめとられている私たちの現状を振り返る時に、辺野古には確かに資本

と国家権力の言いなりになって沈黙する民衆とは異なる民衆の姿があります。この十数年来私も細々とこ

の運動に連ならせてもらっていますが、これからも可能な限り、自分のできることをしていきたいと思っ

ています。