なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(330)

       船越通信癸械械亜。横娃隠掲9月24日   北村慈郎

・11(月)から17日(日)までが私の夏期休暇後半でしたが、今回は連れ合いも私も予定が詰まって

いて、何処にも出かけず家でゆっくり過ごしました。とはいっても、13日(水)夜には基地小が加盟し

ている県央共闘会議幹事会が大和であり、私も参加しました。この会は厚木・座間を中心とした基地問題

に関わる様々な団体が加盟していて、以前はY牧師が出席していましたが、今は私が基地小から出席する

ことになっているからです。この会では、米軍や自衛隊の行動や事故が時系列で報告されますが、その中

に「・8月29日、30日 空母艦載機 無通告でFCLP(陸上空母離陸訓練)。・9月1日 FCLPを厚木で実施

するとの通告 即日実施 3日を除く5日まで続く」とありました。通常艦載機の離着陸訓練は空母の甲板

で行われるのですが、原子力空母レーガンはこの時期横須賀米軍基地の12号バースに停泊中でしたので、

厚木基地で実施されたわけです。この時の爆音は大変なものであったとのことです。現在第5次爆音訴訟

原告募集が厚木の爆音訴訟団で進められていますが、今まで裁判所は米軍機による爆音に対して金銭的補

償判決は出しても、米軍機の飛行差止めには立ち入りません。安保条約と地位協定の破棄がない限り、そ

こまで立ち入ることは出来ないということなのでしょう。日本はかつての侵略戦争という犯罪を真摯に反

省し、また世界で唯一の被爆国であることを踏まえて、アメリカの属国化とも思える一方的なアメリカと

の同盟関係ではなく、憲法9条に基づく多国間との外交による平和条約を締結し、それをもって日本国家

の安園保障とすべきではないかと思います。少しでも基地問題に関わっていますと、安保法制成立施行後

にますます自衛隊アメリカ軍との同盟関係が強化進行していることが分かります。

・14日(木)は、この日連れ合いが九州の友人の急死で、その葬儀に博多に日帰りで行きましたので、

私が国会前の辺野古新基地建設反対の座り込みに出かけました。私は国会前の座り込みに参加する時に

は、キャンプシュワブゲート前での座り込みや、辺野古の海での船やカヌーによる抗議行動に参加してい

る人々のことを思い浮かべながら、その行動に少しでも連ならせてもらいたいという思いで、「辺野古

基地建設反対」を掲げて座っています。

・15日(金)は18:30から日比谷野外音楽堂で行われた、「共謀罪は廃止できる」9・15集会に参加

しました。

・17日の日曜日は夏期休暇中でしたので、礼拝は連れ合いが船越教会の礼拝に来れないときに出席して

います秦野西教会に久しぶりに出席しました。礼拝後秦野西教会の牧師であるSさんに誘われまして、教

会の近くの台湾中華店で昼食をとり帰って来ました。この日17:00から山下公園の人形の家で、「にゅー

くりあ」という劇団の演劇の上演がありました。この劇団の監督が紅葉坂教会時代の青年(と言っても今

は60代半ばになっていると思いますが)です。彼が毎回招待券を送ってくれますので、時間がある限り

は、出来るだけ観に行くことにしています。彼の創作するものは、すべて横浜に関係するテーマです(現

在50数作目)。このところ大江卓をテーマにした演劇が続いています。大江卓とは、明治初期に横浜港で

起こったマリア・ルス号事件に関係した人物です。1872年(明治5年)横浜港に停泊中のマリア・ルス号

(ペルー船籍)内の清国人苦力を奴隷であるとして日本政府が解放した事件です。日本が国際裁判の当事

者となった初めての事例であると言われています。詳しいことは割愛しますが、この裁判を主導したのが

大江卓で、神奈川県庁に設置された大江卓を裁判長とする特設裁判所は、その判決で、港内での乗客虐待

に対する厳重処罰として清国人の解放を条件にマリア・ルスの出航許可を与えました。この判決が有名に

なり、後世に「奴隷解放事件」と呼ばれるようになったというのです。彼はこの大江卓を取り上げること

によって、人間愛を描こうとしているように思われます。いつも彼の演劇から、彼のヒューマニズムを感

じています。

・演劇が終わってから、私は船越教会に行き、18日(月・祝)に教区のオリエンテーション委員会と基

地・自衛隊問題小委員会の共催で開催することになっていました「横須賀における基地問題と海の基地監

視体験」の準備をしました。ただ17日夜は台風18号の影響で強風が吹いていましたので、ヨコスカ・平和

船団のヨットとボートの二隻での海の基地監視体験が可能かどうか心配でした。台風の進路がどうなるか

によっては、中止も考えなければなりませんでしたが、17日の段階で、台風は18日午前中には東北から北

海道に進むということでしたので、参加者には中止の連絡をせずに、開催することに決めました。ただ18

日午後の横須賀港の波の高さが心配でしたが、当日は台風一過の晴天で、気温も高く、午後には海も穏や

かで、海の基地監視体験も無事に行うことができました。この集会には26名が参加しました。11時から12

時まで、非核市民運動・ヨコスカの新倉裕史さんに横須賀の基地につてのお話をしていただきました。そ

の後お昼を共にして、午後二手に分けて、ボートに8人、ヨットに4人、計24名が海の基地監視体験をしま

した。横須賀米海軍基地は第7艦隊の基地で、世界で唯一原子力空母の母港となっています。アメリカの

世界戦略からすると、場合によっては沖縄にある海兵隊や空軍の基地以上に重要であるとも言われること

があります。海兵隊や空軍の基地は沖縄にある必然性は低く、沖縄でなくても差しさわりがないのです

が、第7艦隊の海軍基地としての横須賀は、艦船の移動には時間がかかるので、横須賀にあることに意味

があるからです。今回新倉裕史さんのお話しと海の基地監視体験を通して、参加者の中には横須賀の米海

軍基地についての認識を新たにしたという方もいらしたようです。

・22日(金)には寿地区活動委員会がありました。私はお昼過ぎに船越教会に来て、夕方同委員会に行

き、夜10時頃船越教会に帰って来ました。行帰りとも、雨が結構激しく降っていましたので、はいていた

靴下が大分濡れてしまいました。