なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

父北村雨垂とその作品(46)

 昨日は、11月にはめずらしい前日夜までの暴風雨もあがり、これも11月にはめずらしい暖かな陽気になりました。礼拝後、アドベントの飾りの準備を少人数でしました。私は午後4時ごろまで、その日午後5時半からと7時から予定していました二つの集まりの準備をし、教会を出ました。鶴巻に帰ったのは夜中の0時近くでした。二つの集まりは私の裁判の準備にも関係していましたが、多くの方々に支えられていることを実感し、感謝で一杯です。
 さて今日は、「父北村雨垂とその作品」(46)を掲載します。

父北村雨垂とその作品(46)

『私』 = 経験について =        部落(川柳雑誌ではないかと思います)

経験の向うに私の「空間」があった
経験の向うに私をとりまく人達
経験の向うに私の明日が輻輳した
経験の向うに私が「新しきもの」を描く
経験の向うに私の赤ん坊を知らぬ
経験の向うに私が「時間」を握んだ
経験の向うに私が経験の峯にゐた
経験の向うに私がマルクスヘーゲルを讀んだ

『私』 = 信仰について =

私になにもない神に生きろと叱咤した
私に聖書は「驕れる言葉」をささやいた
私に神の映像が貯蓄を楽しんだ
私に神の子が神に「欲望」を託した
私に楽器が神が代辯した
私に神が「透明なるもの」の恐怖をみせた

私に父の立場を釋迦(シャカ)もキリストも伏せた

『私』 = 道について =

蜘蛛の巣よりも立派な私の道だ
弧を描いて私に戻って来る道だ
淡々として私が忘れて歩いた道だ
黙然と私が『諸君』と叫んだ道だ
喜びと悲しみを私に運ぶ道だ
戦争と平和を私にささやいた道だ
生きる証據に私は駆けねばならぬ道だ
在る限りの私の血が流れてゐる道だ

  藝術について

藝術が私の時間を凍結した
藝術が私を夢の王者とした
藝術が私の生と死をカクテルにした
藝術がわたしの生命を一メートルほど離した
藝術が私の魂をまざまざとみせた
藝術が私の煙草の煙がゆらゆら
藝術が私に狂人を生んで殺した
藝術が私に深い深い眠りに踊った