なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

父北村雨垂とその作品(122)

 今日は、「父北村雨垂とその作品(122)」を掲載します。


               父北村雨垂とその作品(122)

  原稿日記「一葉」から(その5)

 神は神を見ることをしない。神を見るのは人である。人が神をみるのである。
人は人をみることをしない。人をみるのは超人である。超人の場で始めて人をみるのである。
人が不用意に人をみるときは最大の過失をおかす場で人をみようとする。
眞理とは、これも超人の場で発する名辞である。人が人を脱皮するとき超人の場が与えられる。

                   ○     ○

 詩人はカントになれないし、カントは絶対に詩人ではない。プラトン形而上学的詩人であるがアリストテレスは形而下的形而上学者である。   雨垂考。

 眞と善は美学的であると云う方が確かである。   (眞善美について  雨垂)

 ニーチェギリシャ神話から人間を解明しやうとした ~悲劇の誕生~。それから、やがて「超人」への轉機を確実にとらえた。権力と永劫回帰と共に圧巻である ~狂人の狂人より。
 鏡の破片が 最も秋を跳ね返す     雨垂


 作品「小説」は私の最もはなやかな心境の中で作品されたもので、原句は丁度五十句であった。約八ヶ月を費やしたが、その間一作毎に中村町の中野懐窓兄を訪れて批判を求めたものだ。私の当時の心境を知っている氏は揶揄を含めて正否を判定して呉れた。

その後に三太郎先生に内意を告げたところ研究に二頁提供すると約束されたので一層「力」が入ったが、いよいよ発表となったときは三十七句に集約されて一頁となっていた。この件については先生から事前になんの話もなかったので、私の構成意図がずたずたに破られた事も手傳って、遂に川柳研究を退く決意までしたが、懐窓兄は先生の處置を善意に了承していた。

而し懐窓、?猿子等の協力もあって新しいクループを結成し、「途上」の創刊を決意したが、それも字種々の事情から、殊に大東亜戦争への段階もあって雑誌発行が行き詰まり、結局三号雑誌の悲命となった。グループには幻樹、竹緒も居たし、阿弥三、哲郎の両君もよく顔をみせていたのであり、私にはなつかしい思い出である。三太郎先生没後に於て、哲郎君が第二雑詠の選者となり、これに「途上集」と銘うたれたので、毎月川柳研究誌をみる度に当時のことを偲んでは懐かしむことにしてゐる。

 以下は、父が作句した元々の「小説 五十句」で、私のブログ「父北村雨垂とその作品(63)」に掲載されていますが、ここに再録しておきます。続いて川柳研究誌に川上三太郎の手によって集約されたと思われます「三十七句」のもの(私のブログ「父北村雨垂と作品」(39)に掲載)も、ここに再録しておきます。

                       小説  五十句

菜の花や かかる乙女を 創造す

純情の 無智かや ころころと 球は

女は語る 吾稚く 甘えたし

現実が生む 不自然な芽を 愛す

情熱の無言を 聴けり エーテル

こころ そも何? 亡き母を 汝に乞う

何なのと 眞珠のえくぼ 失えり

おとこのことば おんなのことば 火を宿す

反省を超えた世界で 雌雄 二個

酒 とろり 常識の泡 すでに無し

馬鹿なこと と 恋あり 吾は偽(いつ)わるや

純情か 恐怖か 会うことの 傷(いた)き

鉄壁の 無限を中間(なか)に 甲と乙

一切は 逢(あ)えた事実が ほほえむよ

おぼろ月 女の肩が かく見える

情熱に 美しき日 と みにくき日

愛すれど 触れまじ となり 瞼閉づ

人倫(みち)日えば 肩をたたけば 女 泣く

絶対の世界を 描いておけ 涙

くちびるに 母乳(ちち)の香りを 現在(いま)も置け

明日逢える 別れに 何の淋しさか

悪魔(あくま) かくて 日記におどる 一頁

さまよえるいのち はらはらと 秋は

涙腺のない 人形の知性かも

夢 消える そうして夜も 消えてゆく

おんな 笑う ひとときのこと 地もわらう

美しき苦悶(くもん)を抱ゆ 二個の魂

陽よ射るな 慰(いこ)え 男女(ふたり)は 泣いてゐる

いしくれに 恋の苦悶を 聴かせよう

契り得ぬ恋 蒼空に 泣けと云う

エルテルに 泣きあかしたり 君 わらう

はぐめる愛 君と裁る こころ 枯る

夢 のせて 渦に近づく 笹舟か

獨り居る 苦しき 夜なり 起ちあがる

いしくれの如く すべてを 失うか

別るるや 東と西は 逢う日 あれど

ものすべて ふたつ並ぶに 吾がこころ

草も木も むかしを冬に すすり泣く

追憶を入(い)れる容器(うつわ)は 円錐か

帰り来ぬ女に 郷愁が 愛は

逢う日去り 憂愁ひとり現在(いま)を追う

まぼろしの女は 去りがたき 風情

点の如く 線の如きか 夢の性格(さが)

ひと 敗る 一片の葉と 恋は 地に

脳漿沸(たぎ)り 男とて 笑ひけり

死と対す 向うの丘に 児等 遊ぶ

花粉と雌蕊 珠玉と黄金 相似たり

人むなし 恋愛 むなし 錆びたペン

在りし日よ 地に夢 現在(いま)も 新しい

反省の奥に 自然が 動かない


        = 小 説 =  昭和十五(1940)年一月発表

菜の花に斯る處女を創造す

純情か無智かやころころと球は

女は語る稚く吾れ甘へたり

現実が生む不自然な芽を愛す

情熱の無言を聴けりエーテル

こころそも何なき母を汝に乞う

男の言葉女の言葉火を宿す

反省を越へた世界で雄雌二個

酒とろり常識の泡沫既になし

莫迦な事と恋ありわれは偽るや

純情の恐怖か逢うごとに傷き

鉄壁の無限が中間に甲とて

一切は会えた事実がほほえむよ

情熱に美しき日と醜き日

愛すれど觸れまじとなり瞼閉づ

人倫言へば肩をたたけば女泣く

絶対の世界が描いている涙

唇に母乳の香りをいまも置け

明日会へる別れに何の淋しさか

夢消へるさうして夜は消へゆく

女笑うひとときのこと地も笑ふ

陽よ射るな慰え男女は泣いてゐる

石くれに恋の苦悶を聴かせよう

エルテルに泣き明かしたり君わらう

はぐくめる愛君と裁るこころ枯る

石くれの如くすべてを失うか

ものすべてふたつ並ぶに吾がこころ

追憶を入れる容器は円錐か

会う日去り憂愁ひとり現在を追う

まぼろしの女は去りがたき風情

点の如く線の如きか夢の性

脳漿沸り男とて笑ひけり

死と對す向うの丘に子等遊ぶ

在った日は地に夢いまも新しい

ひと敗る一片の葉と恋は地に

反省の奥に自然が動かない

かへり来ぬ女へ郷愁か愛は

ひとり居るわ苦き夜なり起ちあがる