なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

父北村雨垂とその作品(96)

 ゴールデンウイークが終わり、皆さんも日常の生活に戻っていると思いますが、非日常から日常への戻りにはスムーズに移行できないもやもやした気持ちが残るように思われます。祝祭の時間がいつまでも続けばというささやかな願いもないわけではありませんが、それが許されない生活であることもよく分かっている私たちではないでしょうか。

 神奈川教区で企画した「リフレッシュ@かながわ」に、3日から6日まで福島から横浜みなとみらいに保養に来た15家族60数名の方々は、3泊4日の非日常を十分満喫して、また福島に帰って行きました。福島では放射能被爆を少しでも避ける生活をしていくために、日夜心を割いていることでしょう。現在日本にある50数基の原発がすべて停止しています。ところが、私は現在横須賀の船越教会で牧師の働きを続けていますが(日本基督教団は私の免職にしたので認めてはいません)、横須賀の人は否まだ日本には原発が稼動していると言っています。原子力空母ジョージワシントンが米軍基地横須賀を母港として停泊しているからです。ジョージワシントンには二基の原発があるかたです。
 原発に頼らないで十分生活できるライフスタイルを創り出していきたいと切に願います。

 今日は「父北村雨垂とその作品(96)」を掲載します。
               
               父北村雨垂とその作品(96)

 父の遺した作品ノートの4冊目を今日から掲載します。父は自分の句をまとめて何冊かのノートに書き写していますが、一度書き写したノートの後に、新たにもう一度全体の句を構成し直して写しているようです。従って、句によっては複数のノートに書き写されているものもあります。この4冊目のノートにも既にこのブログで紹介した句もあるようです。それがはっきりとわかるものは割愛しますが、気づかずに重複して載せてしまう句もあるかもしれませんので、その点は悪しからずご了承ください。このブログに父の作品を紹介するようになってから、ずっと追って読んでいてくださる方には申し訳ありませんが、お許しください。

 4冊目のノート(作品集第2號)の最初のページは、海上で二隻の帆船が燃えている絵でしょうか、その絵の下に「平和:海上の葬式 ターナー」と記されています。その下の部分が縦5×横15センチくらいの白紙の部分があり、そこに以下の句が記されています。

          天国の嫁に 地獄は火を産みに   雨垂

 
     小説  川柳研究 五十句 1940年(昭和15年)1月15日  但川研には38句
      ~ 寒川の狐 ~ 之のサブタイトルは1979年(昭和54年)3月に付したもの
        作品は川柳研究に発表の予定であったが、三太郎先生が内十二句を捨て(1940年[昭和        15年]1月15日)三十八句としたものであるが、再び五十句として原句を記す (雨)

 菜の花や かかる乙女を 創造す 

 純情か 無智かや ころころと 球は

 女が語る 吾 稚(わか)く 甘えたし

 現実が生む 不自然な 芽を愛す

 情熱の 無言を聴けり エーテル

 こころ そも 何? 亡き母を 汝に乞う

 何なの? と 眞珠の笑くぼ 失えり

 男の言葉 女の言葉 火を宿す

 反省を超えた 世界で 雌雄 二個

 酒 とろり 常識の泡すでに なし

 馬鹿なこと と 恋あり 吾を いつわるや

 純情の恐怖か 会うことの 傷たき

 鉄壁の 無限を中間(なか)に 甲と乙

 一切は 会えた事実が ほほえむよ

 おぼろ月 女の肩(かた)が かく 見ゆる

 情熱に 美しき日と みにくき 日

 愛すれど 触れまじとなり 瞼 閉づ

 人倫(みち) 日えば 肩を たたけば 女 泣く

 絶対の世界を 描いておけ 涙

 くちびるに 母乳(ちち)の香りを 現在(いま)も 置け

 明日(あす)逢える 別れに 何の淋しさか

 悪魔かくて 日記におどる 一頁

 さまよえる いのち はらはら と 秋は

 涙腺のない 人形の 智性 かも

 夢 消える そうして 夜も消えてゆく


(以下25句は次回掲載します。)