なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

北村雨垂とその作品(58)

 後1日で、2011年が去ろうとしています。この1年は3・11の東日本大震災と東電福島第一原発事故に代表されるように多難な1年でした。地球も地殻変動が多発しているのか、安定期から変動期に入っているのかもしれませんが、世界状況・日本状況も近現代が終わり新しい時代への移行期なのかもしれません。今年の2011年は地球と社会の変動期を象徴する年として、後世に語り継がれるようになるのかも知れません。私個人にとりましても、紅葉坂教会を3月末で退任して42年間の牧師生活に一つの区切りをつけました。4月以降は一週間の半分は鶴巻でプライベイトな生活、一週間の半分は船越教会で牧師としての責任を負う生活をするようになりました。11月25日には弁護士を通して教団の戒規免職処分を不当として東京地裁に提訴しました。12月3日にはその裁判支援の発足集会を持ち、支援のお願いをしました。その後、裁判所から私の出した訴状についての質問のような指示事項がありましたので、現在弁護士がそれに対する回答を作っており、新年早々に裁判所に提出するようになっています。その後本格的な裁判が開始していくものと思います。
 一年間、皆さんのご支援を心から感謝いたします。どうぞ新しい年が皆さんお一人お一人にとりましてよき年となりますように。今後とも私の裁判へのご支援をよろしくおねがいいたします。
 さて、今日は「父北村雨垂とその作品」(58)を掲載いたします。
 
        父北村雨垂とその作品(58) 

 今日掲載します父の作品から、そのノートに、父自身が生前自分の「作品集第1號」とノートの見開きに書き記してあります。その下に、

「丘を駆ける 子は風かとも 天使とも」

という句が記されていて、その後に「雨垂」と自筆で書き、その上に雨垂という印が捺印されています。ですから、このノートは、自分の作品をまとめているものではないかと思われます。従って、以前にこの私のブログに掲載した作品と重複するものが出てくると思われますが、今回もそのままノートから作品を順次掲載させていただきたいと思いますので、ご容赦ください。

  はじがき

 本作品集は、片柳哲郎君が収集作成して呉れた 雨垂作品集に、私の日頃集めてゐた作品を 照合の上追加したもので 未だ相当手落ちがあると考えられるが、これが 現在の私の精一ぱいの努力である。それにしても片柳哲郎君の御協力は全く私の思ひもしなかった 大事~私にとって~であって唯々感謝の一語に盡きる。 それと忘れることの出来ない事は、私の発病後、終始一貫、横浜に亦厚木(七沢にある神奈川県のリハビリ病院、注慈郎)に、見舞をいただき、その間、長距離電話或は手紙など、など、実によく面倒をみて下され、体調をみては、作品をすすめられ、今日迄、私の作品意欲を ふるい起たせて呉れた事である。これ、唯々、感謝あるのみ、である。

 はじめに、記して、吾が心境を 記す。  昭和54(1979)・3・28


 エ”と描いて 神(コトバ)と並ぶ 狡智の首

 怨の正午 零れた 鰯の目玉
 
 さらさらと 風に枯葉の 朝を流れ
 
 竜胆は剪られ 緋鯉は 明日へ泳ぐのみ

 浮雲をみたか 野菊はややに 首を振る

 枯れた薄が ささやくが 誰も居ない

 墓石も 案山子の夢も 対話を拒み

 眞顔の羊は レーニンを 神に墜し
 
 歴史が歩るく そこで琥珀と頭脳が歩るく
 
 笹舟に蟻の目玉が蠢く 虹

 「カ(カー)」と啼く唖者(オシ)の鴉に寺の鐘

 キャンバスに 狂気孵(かえ)らず 落輝還(かえ)らず

 折紙(オリガミ)の無心は 神を翻弄(ほんろう)する

 青年の蛾は 夜犯かす 合歡の花

 恍惚の雲 火葬場の 乱れた生花

 失明の人は 枕に 目を借りる

 椿一花 お吉(キチ) 泣くなと背をたたく

 常山の蛇は アラブの雲に乗る

 猫柳 ニンフは 山羊の乳 盗りに

 牡丹に停ち 幾太郎 成雄の墓に停ち