なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(66)

 今日は12月31日、大晦日です。11年前の12月31日は日曜日でした。その頃黙想と祈りの夕べは日曜日の夜に行われていました。後に水曜日夜になりました。水曜日は第一が祈祷会でしたので、第2から第5水曜日に黙想と祈りの夕べを行いました。ちょうど11年前の12月31日の黙想と祈りの夕べ通信癸僑兇髻掲載順序を少し変えて、本日掲載させてもらいます。この通信に紹介した吉野弘の「奈々子に」は、私の好きな詩の一つです。一年を締め括るに当たり、この詩を想い起こし、新しい年につなげていきたいと思います。

      黙想と祈りの夕べ  (通信 66[-14] 2000・12・31発行)

 24日(日)はクリスマス礼拝、祝会、音楽の捧げもの、燭火礼拝、キャロルと、盛り沢山な一日でした。「黙想と祈りの夕べ」は燭火礼拝と重なりお休みでした。そこで24日の燭火礼拝の説教で引用させていただいた詩人吉野弘の「奈々子に」という詩を、この通信に載せさせていただきたいと思います。吉野弘の詩は以前青年会通信創刊号にも載せたものです。

      奈々子に

 赤い林檎の頬をして
 眠っている 奈々子。

 お前のお母さんの頬の赤さは
 そっくり
 奈々子の頬にいってしまって
 ひところのお母さんの
 つややかな頬は少し青ざめた
 お父さんにも ちょっと
 酸っぱい思いがふえた。

 唐突だが
 奈々子
 お父さんは お前に
 多くを期待しないだろう。
 ひとが
 ほかからの期待に応えようとして
 どんなに
 自分を駄目にしてしまうか
 お父さんは はっきり
 知ってしまったから。

 お父さんが
 お前にあげたいものは
 健康と
 自分を愛する心だ。

 ひとが
 ひとでなくなるのは
 自分を愛することをやめるときだ。

 自分を愛することをやめるとき
 ひとは
 他人を愛することをやめ
 世界を見失ってしまう。

 自分があるとき
 他人があり
 世界がある。

 お父さんにも
 お母さんにも
 酸っぱい苦労がふえた。
 苦労は
 今は
 お前にあげられない。

 お前にあげたいものは
 香りのよい健康と
 かちとるのにむずかしく
 はぐくむにむずかしい
 自分を愛する心だ。

 何度読んでも心に響くものがある詩だと思います。このような眼差しと想いをもつ親や大人に囲まれて、子どもたちが育つことができたならばと思わずにはおれません。

 「ひとが、ひとでなくなるのは、自分を愛することをやめるときだ」。

 自分自身への戒めとしても大切にしたい言葉です。新しい年が諸兄姉にとって恵みの年でありますように。