なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信38

 あけましておめでそうございます。
 
 今年もどうぞよろしくお願い致します。新しい年が皆様さまにとってよい年となりますように。主の導きをお祈りいたします。

         船越通信癸械検  。横娃隠嫁1月1日    

・12月25日の日曜日はクリスマス礼拝でした。前日の24日(土)夜にキャンドルサーヴィスがあり、その後祝会が行われ、最後の方が帰ったのが午後10時過ぎでしたので、それから船越通信の最後の部分を書きあげました。そして説教の最後の準備をして寝たのが夜中の2時過ぎでした。24日の夜はM・Nさんの友人の方が教会の一階和室に泊りました。25日の朝9時過ぎにS・Nさんが教会に彼女を迎えに来て、外で朝食をとって、10時半からの礼拝に参加しました。25日のクリスマス礼拝では聖餐式がありました。船越教会は年4回か5回聖餐式を行っています。70年代から洗礼を受けていない方も希望すれば陪餐できる「開かれた聖餐式」を行っています。しかも式文も聖書に基づいて船越教会独自のものが作られています。その式文に従って、今回も聖餐式を執り行いました。司会が語る「招きの言葉」は「この聖餐は受洗者、未受洗者とを問わず、すべての人に開かれています。この主イエスの招きにご自由にお与りください。」となっています。

・礼拝後キャンドルサーヴィスの持ち寄りの祝会で残ったものと、この日礼拝に出席した方が焼いて持ってきて下さったパウンド・ケーキとで、みんなでお茶の会(昼食会)を持ちました。祝会で残ったお寿司用の魚は、ご飯を炊いてお寿司にする予定でしたが、連絡の不行きとどきで、ご飯の用意をすることができず、急遽カルパッショにして、みんなで美味しくいただきました。

・クリスマス後は1月1日の日曜日まで、私はお休みをいただきました。通常は木曜日午後3時ごろから船越教会に来ていますが、年末は鶴巻で過ごすことにさせてもらいました。その間、27日から29日かけて滋賀の方に出かけてきました。27日~28日は雄琴温泉で、毎年年末に関東神学ゼミナールの方々が中心に年末に亡くなった故I・Y牧師を偲ぶ会があり、私も都合の合う年は出席していましたので、今年も出席してきました。偲ぶ会と言っても、それなりの学びをします。

・今回は教団の中でパレスチナ問題にずっと関わり続けている隠退牧師のM・M先生が講師となって「コプト教会について」の貴重なお話を聞くことができました。M・M牧師は私の裁判支援会の呼びかけ人(世話人)にもなってくださっています。コプトとはエジプトを意味し、コプト教会はエジプト社会の教会のことです。エジプトはイスラム社会ですから、イスラム社会の中でのキリスト教の教会ということになります。私はコプト教会については、最初期の教会から2,3世紀のキリスト教の中でエジプトのアレキサンドリアエルサレム、アンテオケ、ローマ等の教会に匹敵する大きな影響を与えたということくらいしか知りませんでした。イスラム社会の中でのコプト教会がエジプト社会の中にどのように根づいているか、ここでは詳しく報告できませんが、大変興味深いお話を聞くことができました。

・R・N先生のお話の後、R・Y牧師から「この閉塞状況をどうしただろうか」という題で、現在の日本社会の閉塞状況についてのお話を伺いました。3・11の東日本大震災と東電福島第一原発事故の日本社会に与えている影響についての話しに加えて、日本社会の意志決定のあり方について、フランスのテレビ局が行った特集を紹介してくれました。それは基本的には今も日本の社会では一人一人の基本的人権が認められていないというのです。特にフランスはフランス革命が起こって近代社会になっていますので、個々人の人権がベースに社会の法律や行政や司法が動き、個人の自由や人権の侵害については社会がそれを擁護するシステムがあるというのです。ところが、日本社会には現在もフランス社会のように個人の尊厳を中心とするような社会のシステムが機能しておらず、むしろ法律や行政や司法は権力の側に都合よく動くシステムになっているとうのです。

・特に官僚機構や検察・裁判所は未だに戦後のGHQによるアメリカの日本支配の影響から脱皮できておらず、小沢一郎の問題も、小沢一郎主権国家としての日本を強調し、今までの日米関係を再検討するような主張を掲げているので、アメリカが日本の官僚や司法を動かして小沢つぶしをしているというのです。日本は今もアメリカの占領下に置かれているとか、アメリカの属国であるというような言い方がなされますが、私たちにはなかなか見えない日本社会の意志決定のシステムを通して、未だにアメリカの影響力が行使されるようになっているというのは、あながち全くのデタラメとは言えないように私にも思われます。

・日本社会は明治維新にしても、戦後社会の形成にしても、民衆が主役を演じるということがありません。明治維新は上からの改革であり、戦後社会は占領軍であるGHQのマッカッサーによる改革です。市民革命によって権力を市民の側が奪取したという経験は、未だに日本社会にはありません。沖縄の住民が1995年の米兵による少女暴行事件への抗議集会以来、その都度その都度沖縄から米軍基地の縮小・撤去を訴えて来ながら、一顧だにされないのは、日本が民主的な主権国家であれば、どう考えてもおかしいのです。

・数年前自民党政権から民主党政権に変わり、鳩山首相が誕生して辺野古に新基地建設はしないと約束していながら、その後その鳩山首相自身がその約束を撤回してしまったというのも、日本社会の意志決定が一国の首相の約束さえも反故にさせる別の力からの影響によって決まるようになっているからではないかと思わざるを得ません。その後の民主党が己のマニュフェストを次々に撤回していく姿は、主権在民による選挙で選ばれた政党の政策が実現するシステムが日本社会には機能しないということを物語っていると言えるのでしょう。政治不信はそういうところに原因があるのではないでしょうか。個人の命の尊厳と生活が保障される社会の実現は、その社会の意志決定が個人の命の尊厳と生活を何よりも大切にする人々によってなされるようにならなければ不可能ではないでしょうか。

・民主的で個々人の人権が、たとえ外国人であっても保障される日本社会の実現をめざして、新しい年も、一市民として、キリスト者の一人として最も小さくされている人々を大切にして生きる相互の関係を造り出していきたいと思います。

・28日―29日は滋賀の友人夫妻を訪ねました。二人とも東神大の同級生ですが、彼の連れ合いは長い間病を得て、今は介護による生活ですが、彼が自宅で彼女を介護しながら自分の仕事をしています。久しぶりの再会で旧交を温めました。