なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(64、復刻版)

 今日は寿の越冬に行きました。朝7時過ぎに鶴巻温泉駅から電車に乗って、寿のあるJR石川町駅に着いたのが午前8時半ごろでした。寿町公園で9時から炊き出しの切り込みがはじまりましたので、最初から参加できました。切込みを12時ごろまでしていましたら、携帯が鳴り、画家のS君と相鉄の希望が丘駅で待ち合わせして会うことにしました。午後1時に希望が丘駅でS君と会い、お昼を駅前の中華店で食べ、彼のアトリエに行って、しばらく話し合いました。午後3時過ぎに彼のアトリエを出て、鶴巻に帰ってきました。S君は私より5,6歳年下で、彼が高校時代に紅葉坂教会で初めて出会い、その後50年近くになりますが、年に数回は会って話してきましたし、彼の個展は大体は観ています。彼の絵も生き方も脱構築というか、型を壊して根源に迫ろうとしているところが感じられ、私と波長が何となく合うようで、関係が途切れずに続いています。

 今日は、「黙想と祈りの夕べ通信(64、復刻版)を掲載します。 

        黙想と祈りの夕べ(通信 64[-12] 2000・12・17発行)

 10日の礼拝説教のテキスト、ヨハネ福音書9章3節、生れつき目の不自由な人に対するイエスの言葉、「神の業がこの人に現われるためである」に注目したいと思います。ロ-ズンゲンの今日の主日聖書箇所ルカ福音書21章28節にも「身を起こして頭を上げなさい。あなたがたの解放の時が近いからである」とあります。「神の業がひとりの人の上に現われる」にしろ、「解放の時が近いから、身を起こして頭を上げなさい」にしろ、これらの言葉は、それを信仰によって受けとめる人の中で力を持つように思います。何か客観的な事実として、このような「神の業」や「解放の時」が、誰の目にも明らかなように起こるのではないように思うのです。そういう意味では、むしろ起こりっこない出来事ではないかと思うのです。けれども、そのことを信じる人の中には確かに起こっているのではないでしょうか。そして「神の業」や「解放の時」を信じ受け容れる信仰者には、それにふさわしい物の見方や生き方が現われるように思うのです。例えば、神の国の到来は、イエスにおいては今ここでの出来事でした。けれども、ユダヤ神殿体制やロ-マ帝国の支配が絶対的であると思っていた人々には、神の国の到来は全く彼らの眼中にはない非現実そのものだったと思われます。ですから、イエスの振舞いは彼らには了解不可能でした。イエスとっては「神の国の到来」が現実そのでした。むしろユダヤ神殿体制やロ-マ帝国の覇権そのものが永遠の意味を持ち得ない、非現実だったのでしょう。信じる者には、神の支配としての神の国は、今ここでの出来事なのです。神の支配としての神の国の実現成就は、未来のいつかに起こるというようなものではなく、信じる人の中に今ここで起こっている、そのような出来事のように、私には思われて仕方ありません。

 以上のような私の話に続いて、一人の姉妹が盲信徒を中心としたクリスマス会に参加しての感想を話されました。9日にF伝道所でクリスマス会があった。30数名が集まった。盲信徒の方との交流でいつも感じることは、晴眼者である私たち以上にお互いに自然に、心の中を見ているように思わされることだ。点字の聖書を毎日読んでいるという方のことを知り、自分が忙しさにまぎれていることを反省させられた。I先生は、先日の「黙想と祈りの夕べ」通信にも触れられていた深津文雄先生のことを話された。深津先生がおられなかったら、今の自分はないし、伝道者にはなれなかったと。ベテル伝道所の盲信徒の方々との交わりで、大きな紅葉坂のような教会とは違って、ホットするものを感じる。盲信徒の方々の純粋さに感動させられ、またその発言に示されることが多い。早いクリスマスだったが、恵みの時を味わえたと。

 この日の「黙想と祈りの夕べ」の祈りの時に、一人の方が「神の業が(自分に)現われる」とすれば、こわいと思うと率直に祈られました。その率直さに私も共感を覚えました。また、この日には、久しぶりにMさんが出席しました。彼女は、今年の4月からデザインの専門学校に通っています。交通事故の後遺症から立直って、自分の生活のペ-スを徐々につかでいる様子でした。彼女のことを覚えて祈ってきた姉妹が、久しぶりに彼女と会って、その元気な姿を見て、心から喜んでいました。来週は自分はこの会に来れないので、今日Mさんと会えてよかったと、しみじみと語っていたのが印象的でした。