黙想と祈りの夕べ通信(505)復刻版を掲載します。2009年5月のものです。
黙想と祈りの夕べ通信(505[-34]2009・5・24発行)復刻版
5月19日にHさんが帰天しました。先週お訪ねしたときは、意識もはっきりとしていましたし、少しお話も
できました。ただ全体に衰弱している感じは否めませんでした。本人の意思で延命処置はしないということ
で、水分の点滴以外は自然に任せるということでした。口からの食事もとれてはいるようですが、十分では
ありませんでした。介護の方ももう少しとれるといいのですがと、おっしゃっていました。19日の10時過ぎ
にお孫さんから連絡をいただき、今朝食事をした後に眠るように召されたということでした。生前Hさんは自
分の意思をご家族に書き残してありました。上記の延命措置のことと、「葬儀、告別式等は一切不要。北村
慈郎牧師に祈祷をして頂くだけで感謝です」と。ご家族もご本人の意思を大切にしたいということで、ごく
身近な親族だけで送ることになりました。上記の遺書ともいえる文書と共に、Hさんの好きな讃美歌6曲、好
きな聖書3箇所を記したメモもありました。私は納棺の祈りと葬送式にその全てを読み、歌うことにしました。
Hさんは63年に息子さんを、68年に夫を天上に送り、その苦しみを、私の神学校の校長でその頃フェリス女学
院の院長をされていた桑田秀延先生に訴えられました。神さまはどうしてこのような苦しみをお与えになるの
でしょうか?と。先生は、「私にもわかりません。神さまにぶつかりなさい。」と言われたそうです。私は95
年に紅葉坂教会の牧師になってから、今年1月にホームに入られるまで、一年に一回11月前後にHさんをお訪ね
してきました。お伺いする度にHさんは桑田先生のこの言葉を私に語られました。それをお聞きする毎に、悲
しみや苦しみを抱えて生きる者へのひと言が、その人の心にこんなにも響くものかと、ひと言のもつ力の大き
さについて考えさせられてきました。私は当教会の伝道師時代(74年~77年)に、Hさんに批判的な手紙を出し
ました。そのことも覚えておられて、若いときはそのくらいでなければとおっしゃってくださいました。息を
引き取ったHさんの顔は、平安そのものでした。ご遺族の上に主にある慰めをお祈りいたします。
上記の私の発言に続いて、一人の方からの発言がありました。先ほどありましたHさんの納棺の祈りの集い
の前に、お嬢さんとお話していて、Hさんの夫のご両親(紅葉坂教会の会員)の家で行なわれていたお集まり
(家庭集会)のことが話題に出た。今は保土ヶ谷しか家庭集会はないが、昔はいくつもの家庭で行なわれてい
た。私も夫が伝道師のころ子供も連れで家庭集会に参加したこともあるが、家庭集会には豊かな温かなものが
あった。若い者に心を配って下さり、愛されていることが感じられた。今日の黙想と祈りの夕べ通信に出てい
るヘンリ・ナウエンの言葉が響いてくる。
《私たちは死ぬと、信仰と希望のどちらも終わりを迎えます。しかし愛は残ります。愛は永遠です。愛は神
から出て、神に戻ります。死ぬ時には、人生が私たちに与えてくれる愛以外の一切のものを失います。私たち
が人生の伴侶とした愛は、私たちの内なる神のいのちです。それは、神聖で不滅な私たちの存在の核なのです。
この愛は残るばかりではなく、何代にもわたって実を結びます。死ぬ時が来たら後に残される人々に次のよう
に言いましょう。「思い悩まないで。私の心に宿っていた神の愛があなたのところに行き、あなたを慰め励ま
してくれるで しょう」》。
この文章をあたたかく読めた。かつて家庭集会を行なって家庭を解放してくれていた女性たちは今の自分の
年頃であった。今の時代は住環境をはじめかつての人たちの状況とは違い、同じようにはできない。しかし、
若い人をゆとりをもってもてなすことを、自分自身どこまでできているだろうかと反省させられている。日曜
学校の子供たちに、かつて自分が受けたように、言葉をかけ、働きかけができているだろうか。自己実現が先
で、あたたかな眼差しをもって愛を伝えているか。ナウエンの言葉のように、信仰の先輩から伝えられたよう
に、自分も愛を伝えていく者でありたいと思う。
「イエスの貧しさ」 5月24日
祝福された方、イエスは貧しい。イエスの貧しさは経済的、社会的な貧しさをはるかに超えたものです。力
よりも無力を、守ることよりも無防備を、自足よりも頼ることを自ら進んで選ばれるゆえに、イエスは貧しい
のです。かの有名な「キリストの賛歌」が美しく語っています。「キリストは、・・・神と等しい者であることに
固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、・・・・人間と同じ者になられました」(フィリピ2:6-7)。イ
エスが選ばれたのはこういう心の貧しさです。
イエスは、ご自分と同じように祝福された者である私たちに、同じ貧しさをもって生きるようにと呼びかけ
られておられます。
(ヘンリ・J・M・ナウエン『今日のパン、明日の糧』より)