なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(504)復刻版

 黙想と祈りの夕べ通信(504)復刻版を掲載します。2009年5月のものです。


       黙想と祈りの夕べ通信(504[-33]2009・5・17発行)復刻版


 最近大分前に購入していた橋本治『日本の行く道』という本を読みました。この本を購入した理由は、

本の題名からこの著者が日本の将来に対してどんな展望をもっているのかということを知りたかったから

です。また本の帯びにあります「今の日本の漠然としてある『気の重さ』を晴らす作家の確かな企み!」、

「大人も子どもも『行き場のない』という大問題。惰性となってしまった『進歩』をもう一度考え直す」

という言葉に惹かれたのかもしれません。読んで見て、この人の結論は私たちの社会を「産業革命前に戻

せばいい」ということにあるようです。実際にはそこまで社会を戻すことは難しいので、環境問題を考え

るなら、せめて1960年代前半の時代の日本にもどしたらどうかということです。また、私も前から関心が

あるのですが、江戸時代の日本社会をこの著者は結構評価しているのです。地方分権ということであれば、

江戸幕府が全体を統一してはいますが、各藩は独立していて、民衆の生活基盤はそれぞれの藩が中心です。

それぞれの藩は工夫して農業だけではなく様々な産業を興し、藩の安定を図りました。明治以後国の富国

強兵・殖産興業により中央政府の力が強くなり、地方分権方から中央集権化が進められました。決定的に

は60年代後半以降の農業を見棄て工業化を優先した政府の政策により、人口の大都市集中が極端に進みま

した。地方の生活基盤がなし崩し的に失われていったのです。現在の過疎化がその結末です。そういうこ

とからすると、江戸時代はそれぞれの地方が生き生きとしていたということでは、学ぶべきものが多いの

かも知れません。

 上記の私の発言に続いて、一人の方の発言がありました。国会前の座り込みにいて、今日は「外国人登

録法」 が明後日国会で可決されてしまうのではないかと言われており、超党派キリスト者の反対の院内

集会が議員会館で開かれた。便利だからということで在日外国人にカード所持が義務づけられる。これはか

つての指紋押捺の問題と同じであると言われている。今度のウィルス問題で たまたま感じていたが、日本

は島国で外国と地続きでないので、水際作戦と言われる監視体制をしている。島国故に外国から入ってくる

場所は限られている。それゆえ輪郭をはっきりさせるということがあるのかもしれない。かつて強制労働で

日本に連れてこられた人達が今も外国人扱いなのもおかしい。アメリカにいる名古屋の人がイースターの時

に訪ねてきた。彼女は自由にアメリカと日本を行ったり来 たりしている。在日の人が韓国や北朝鮮に行った

り来たりするのは、彼女ほどやさし くはない。現在の家庭も輪郭が強い気がする。私の小さい時は近所づき

あいがあり、調味料が足りないとちょっと借りたり、お惣菜のおすそわけもよくあった。 私は外国のことは

わからないが線引きが強い気がする。今年は日曜学校の夏期集会のテーマに「エゴからエコへ」というサブタ

イトルがついた。大きなテーマであるが、一緒に学んでいきたい。自分自身は親が早く亡くなったので祖母を

はじめみんなに育てられた。身を硬くして輪郭をはっきりした関係ではなく、緩い人間関係をもって分かち合

う大切さを思う。格差社会の中でお互いに助け合って生きていける世界が来ることを祈り求めていきたい。

 別の人の発言がありました。連休中映画を観た。夜中に2チャンネルでも観た。2005年アメリカドキュメン

タリー未公開映像を観る番組で、カード地獄というか、若い人が大量のカードを持つ事が出来て、法律で自己

破産もできず、20代の若者が自殺に追い込まれていき、母親が泣いている。若者が亡くなった後もカードの手

紙が来る。中流階級がなくなり、一部の富裕層と多くの貧困層に、アメリカ社会は今回のサブプライムローン

の問題が出る前からなっていたというのには驚いた。利益最優先社会の恐ろしさを感じる。アメリカの負債は

日本と中国が負っている。次回予告はアメリカのキリスト教原理主義で、子供たちがジーザスと涙しながらマ

インドコントロールされて軍隊に入隊している場面があった。次回も観たい。またビデオでティナターナー

か忘れたが、有名な黒人歌手が夫のDVとレイプから自立し、子供を引き取り生きていくという映画を観た。そ

の中に南無妙法蓮華経を唱えるところが出てくる。生き生きとしていた。

           
            「愛は残る」         5月17日


 私たちは死ぬと、信仰と希望のどちらも終わりを迎えます。しかし愛は残ります。愛は永遠です。愛は神か

ら出て、神に戻ります。死ぬ時には、人生が私たちに与えてくれる愛以外の一切のものを失います。私たちが

人生の伴侶とした愛は、私たちの内なる神のいのちです。それは、神聖で不滅な私たちの存在の核なのです。

この愛は残るばかりではなく、何代にもわたって実を結びます。

 死ぬ時が来たら後に残される人々に次のように言いましょう。「思い悩まないで。私の心に宿っていた神の

愛があなたのところに行き、あなたを慰め励ましてくれるでしょう」。

  
                     ヘンリ・J・M・ナウエン『今日のパン、明日の糧』より)