なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(47、復刻版)+α

 先日神奈川教区社会委員会から7名がボランティアとして新生釜石教会に派遣されたことは、このブログでも触れました。私の連れ合いもボランティアの一人として参加させてもらいました。ちょうど昨日手元に届いた「キリスト新聞」に下記のように、あるシンポジウムで新生釜石教会で連れ合いらがお世話になった柳谷明牧師が発題された要旨が載っていましたので、ここに引用させてもらいます。
キリスト新聞3206号(2011年11月19日発行)一面。「聖学院大学総合研究所カウンセリング研究センター主催のシンポジウムでの発題」。

 〈3月に山形六日町教会を隠退し、現在岩手県花巻市に在住の柳谷氏は、同氏の次男が牧師を務める日本基督教団新生釜石教会の被災状況を報告。津波直後からボランティアが殺到し、教会内に多い時で60人ほどが寝泊まりしていたこと、牧師館前のテントでは、お茶が振舞われ、被災者が苦悩や悲しみを話したり、体を休める場所になっていたことなどを振り返った。会堂内部は、波に浸かった天井や壁、床がはぎ取られたが、文字通り「壁のない教会」こそが目指すべき姿であるとし、宗教間、被災者・非被災者間、地域住民と教会員との間に壁がなくなることが理想だと述べた。そして、教会は3・11以前の状態に戻ることを求めるのではなく、「この痛みを負った経験を生かし、他者の痛みを知り、それを共に担うことのできる教会として新たに出発すべき」と話した〉。

 柳谷牧師の言われる「壁のない教会」、「他者の痛みを知り、それを共に担うことのできる教会」こそが、被災地の教会だけではなく、住宅街の教会も目指すべき教会の姿ではないであろうか。

 本日は「黙想と祈りの夕べ通信」(47、復刻版)を掲載します。

  黙想と祈りの夕べ
   (通信 47 2000・ 8・20発行)

 13日の「黙想と祈りの集い」は、私と連れ合いの2人だけと思っていましたが、体調を崩していた一人の姉妹がしばらく振りで参加し、3人で守りました。私は、前日12日(土)に当教会を会場にして開かれました神奈川教区社会委員会主催の「平和集会」の講演者、野田正彰さんのお話から、歴史的な事実についての認識の大切さを教えられましたので、そのことをお話しました。関東大震災における朝鮮人虐殺につながる流言蜚語(「朝鮮人が井戸に毒を入れた」など)について、私は日本人民衆の中から出たものとばかり思っていましたが、野田さんは、それは歴史的な事実ではなく、当時の警察権力が介入し、権力の側から意図的に流されたものだということをおっしゃいました。みすず書房から出ている『現代史資料集』の関東大震災の中にはっきりと書かれていると言われました。私は、平和聖日における平和への祈り対して、一人の兄弟から直接私に向けられている批判、教会の絶対平和主義では平和は造り出せないという意見を受けていましたので、それとも関連して、ある主の想いだけが先行する在り方について反省させられました。事実を事実として正しく認識し、そこからどうしたらよいのかを具体的に考えて行かなければ、ただ口先だけで平和を称えているだけで、平和は決して造り出せないという指摘は真実だと思います。そういう意味で、改めて事実認識を丁寧に積み上げていくことの大切さを考えさせられました。ちょうどこの日の「黙想と祈りの集い」の主日聖書朗読箇所の新約がマタイ福音書5章13-16節の「あなたがたは世の光である。地の塩である」という箇所でした。私は、教会(一人一人のキリスト者も)が世の光、地の塩であるということの関わりで、歴史認識の問題を考えさせられました。以上のようなお話を、私は、「黙想と祈りの夕べ」の「分かち合い」でしました。

 続いて一人の姉妹が、やはり野田さんの講演を聞いて考えさせられたことを話しました。彼女は父が戦死しており、戦争はいけないものだということを、自分のからだから怒れた。ただそれは今考えると被害者的なものだったように思う。小さいとき、叔父たちが、作戦が成功したとか、うまく逃げられたとか、自分の戦争体験を楽しそうに語るのに疑問を感じ、思春期には怒りも覚えた。戦争体験の中で本当につらいことも「記憶の欠損」(野田)としてはならないと思った。野田さんは、「悲しむ者と共に悲しむ」感性の大切さを訴えられた。アメリカのベトナム兵の中にも、ベトナム戦争参戦中に自分の精神が病んで、食べるものも食べられなくなって戦病死した人をあったという。そういう人の感性こそまともではないだろうか。野田さんの話の中にもあったが、東南アジアの国々で亡くなった家族のために現地に碑を建てて、そこに酒をかけて帰ってくる日本人がいるというが、現地の人たちはとんでもないことだと怒っているという。日本人はお国のために死んだ家族を弔うことは当然だという感覚だが、現地の人にとっては自分たちの家族や土地を踏み躙った侵略者なのだから、日本人はむしろ現地の人に謝罪してくるのが当然ではないかと、野田さんはおっしゃった。自分は、野田さんと同じ年だが、野田さんは多くの知識を持っている。だが、自分はセンチメンタルであった。ぐさっと刺された思いがしたと。 イエスがこの世に弟子を派遣する時に語ったと言われる「へびのように賢く、ハトのように素直であれ」(マタイ10:16)という言葉を思い出しました。