なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(606)

船越通信、№606  2024年3月3日(日)北村慈郎

  • 2月24日(土)には第152回神奈川教区総会が、午前10時から午後3時30分ごろまで清水ヶ丘教会で行われました。この日鶴巻を午前8時15分過ぎに出て、清水ヶ丘教会には総会開催10分前ごろに着きました。総会は開会礼拝の後、議事の審議・採決が行われました。神奈川教区では議事に入る前に「我々は対立点を棚上げにしたり、性急に一つの理念・理解・方法論に統一して他を切り捨てないよう努力する。忍耐と関心をもってそれぞれの主張を聞き、謙虚に対話し、自分の立場を相対化できるように神の助けを祈り求めることによって、合意と一致とを目指すことができると信じる」と記されている神奈川教区形成基本方針の朗読があります。これは1970年前後の時代に立場や考え方の違った者同士の対立が深まって、神奈川教区では、教区総会自体が開催できなくなったという事態に陥り、各地区での話し合いを積み重ねて、この教区形成基本方針によって教区総会の再開にこぎつけたという歴史があり、その歴史の延長線上に今の教区もあるからです。神奈川教区形成基本方針のようなものがある教区は、神奈川の外には多分大阪教区くらいではないかと思われます。今回の総会では久しぶりにと言うか、議事の前に一つの動議がありました。それは教区総会の礼拝の中で教団信仰告白を唱和するというものです。信条を大切にする長老主義教会は一つの信条による一致によって教会が存立するという考え方ですので、信仰告白の無い教会は考えられないのです。ところが日本基督教団は様々な教派が合同してできた教会ですので、そもそも信仰告白をもたない教派の教会もあります。例えば、洗礼を受ける時に、長老主義の教会は教会の信仰告白を告白することを求められますが、私が紅葉坂教会で若い時に洗礼を受けた時には、洗礼式ではその礼拝で教団信仰告白を唱和しますが、その礼拝の前に開かれた祈祷会の席で、洗礼志願者一人ひとりが、どうして洗礼を受ける決心をしたのか、それぞれの思いを語ることが信仰告白と考えられていました。ですから私もそのように自分の信仰告白をしたので洗礼を授かったわけで、教団の信仰告白を告白したから洗礼を授けられたのではないのです。紅葉坂教会は日本基督教団に加入する前は組合教会でした。組合教会には各個教会に自分たちはこういうイエス・キリストの福音を信じるという短い福音を要約したようなものはありますが、信仰告白はありません。戦後長老派の教会の一部は、そのような日本基督教団の曖昧性に耐えられず、教団成立前の長老主義教会に戻るために教団を離脱しました。これは教団では戦後の会派問題と言われるもので、1954年に教団信仰告白が出来たのは、この会派問題に直面した教団が長老主義教会の離脱を食い止めるためでした。この会派問題が起こった時に、横浜指路教会の当時の牧師と牧師を支持する一部の信徒は教団離脱に踏み切りました。その教会が現在の横浜市神奈川区にあります横浜長老教会です。当時横浜指路教会はその牧師を支持しない長老・信徒によって教団の教会をしての歩みを続けて、現在に至っているのです。同じ長老派の教会の中で教会全体が離脱したのは横浜港の大桟橋の入り口の所にある横浜海岸教会です。教区日本基督教団信仰告白の成立にはそのような事情があって、当時教団に残った長老主義の教会の主だった教職は、教団成立以前の長老主義教会である旧日本基督教会信仰告白を大切にして、教団信仰告白は戦時下教団の教義の大要の焼き直しだったこともあり、妥協の産物として馬鹿にしていたのです。ところが現在は教団の中の長老主義教会は、「信仰告白と教憲教規に従う」ということを金科玉条のように掲げているのです。これは自分たちの立場を絶対化して、他を認めないことを意味します。それに対して、神奈川教区形成基本方針は、多様性を認めて対話を通して自己相対化し、一致を目指していくことを謳っているのです。また、教団信仰告白には戦時下教団の戦争協力への反省はありません。その反省は、1967年イースターに当時の鈴木正久教団議長名によって出た「第二次世界大戦会における責任についての告白」(戦責告白)で表明されています。教区総会の礼拝での教団信仰告白の唱和を求める人は、「戦責告白」については一切触れません。私は常々日本基督教団に所属する教会のアイデンティティーは、教団信仰告白ではなく、国家の圧力への敗北にあるので、その敗北をどのように克服していくかということにあると言っています。聖餐の問題も、配餐を未受洗者に開くか、開かないかという問題よりも、戦時下の教会が執行していた聖餐と現在の教団に属する教会が執行している聖餐がどう違うのかという問題の方が遥かに重要な問題だと思っています。さて教区総会開会礼拝での信仰告白唱和の動議は否決されました。今回の総会は4人の按手礼式執行志願が承認可決されて、按手礼式が執行されました(この議案でも一人の志願者に按手礼執行保留の動議が出ました。このことについては次回の通信で触れたいと思います)。その他、「2024年度の神奈川教区活動基本方策および活動計画案に関する件」「同予算案および各教会負担金割当案に関する件」「藤沢ベテル伝道所の廃止に関する件」「単立・川崎キリスト教会の日本基督教団加入に関する件」が承認可決されました。「2024年度神奈川教区会計監査委員の選任に関する件」と「同会計委員選任に関する件」は常置委員会付託になりました。午後3時30分ごろ総会は終了し、私は船越教会に行きました。
  • 25日(日)礼拝後平和と人権を考えるDVD鑑賞会がありました。米軍海兵隊に入隊した若者を抵抗なく人殺しができる兵士に変えていく訓練を描いた、藤本幸久監督の「ONE SHOT  ONE  KILL(兵士になるということ)」を観ました。この映画が描いている米軍海兵隊の訓練は、心のある人を心の無い殺人機械に変えていくものです。戦争のために国家(人間)は武器を造るだけでなく、神の創造に反し、人間自身を戦う機械に作り替えようとさえするのです。恐ろしいことです。9人で鑑賞し、鑑賞後それぞれ感想を述べ、午後2時半ごろ鑑賞会を終えて、散会しました。
  • この週は、2月28日(水)午後4時半から高座渋谷教会で基地小委員会があり、私も出席し、基地小通信第2号の教区諸教会・伝道所への発送作業をしました。また、29日(木)には3週間ぶりに辺野古新基地建設反対国会前座り込みに参加しました。この日は私を入れて4人で座り込みました。国は憲法第9条に戻れ!