なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

父北村雨垂とその作品(117)

              父北村雨垂とその作品(117)

  1964年(昭和39年)日記より(その9)

 十一月一日の休みにKo氏長男のT君の車へ同乗、富士五湖の秋を楽しんだ。橋本から大半出来た城山ダムを車窓から賞め、オリンピックの競技場となった相模湖を経て、猿橋、大月を経て河口湖に着いたのが十二時。橋本出発の時は小雨だった空模様が順次雲が切れ始め、第一番について、湖水の周辺に目をやる頃は晴間が出て、雨で洗はれた紅葉は全く新鮮そのもの、大いに山水の調和に賛辞を呈し、T君夫妻ご持参の弁当を賞味した。

 相当の人手があり、かなり強い風があったにも拘らず遊覧船は定員以上の人達によって船足ひくく、見てゐて、ささやかながら不安を感ぜしめた。眞白く波を切って往き来するその風景も亦ひとしほである。一すじ中洲の様な丘が特に鮮烈な紅葉が目に沁みる。職御少時休憩の後本栖湖に向う原生林の中を完全舗装の道を往く、全く快適である。やがて向正面に富士らしい山が見え始めた。余りに富士に似てゐると思ったら、結局それが正真正銘の富士だったのである。うかつの様だが、実は私達の見慣れてゐる富士とは一寸違うところがあったからである。大体私共の普段みてゐる富士は頂きが僅かに傾いてはいるが、水平に近いものであったが、その時にみた頂きが甚だ富士らしからぬ凹凸の甚だ不かっこうの姿だったからである。どうみても感心した富士の姿ではない。
 樹海の紅葉はまた一段と素晴らしい。遊らんの自家車か、点々と停ってゐる。言い合わせた様に小用を足した後を手近の紅葉を手折って土産とする魂胆である。日本人の悪癖と直ちに考えるが、ここ許りはさにあらずと言ひたい。いくら折っても恐らく折りつくせないであらう。それほど素晴らしく広大な範囲が目を突き刺す様なあざやかさである。その背景をなしてゐる山々がこれも敗けじと赤い。


 川柳に「うがち」といふことが言われてゐる。つまり、この「うがち」が川柳といふ文学のジャンルのひとつと考へられてゐる。また川柳は同型の俳句の自然諷詠に對し(いまはこの概念はまったく適用されないが)人事を主要な對象といてゐる。いわば川柳は「人事を穿った十七音で構成された、短詩文学といふことになる」。もっともこのうがちが、川柳の要素のすべてといふ訳ではないが、重要な要素であることに間違いはない。そこで「穿ち」とは如何にという問題が提起される。

 私は言語学者ではないから、余り精しいことは言えないし、またそれだけの自信もないが、ひとことで云えば、あるものまたはある事(こと)を對象として、それを分析し、批判して、ひとつの結論を引き出すことであらう。もちろん、この道程は、学問的にではなく、個人の経験から割り出された、分析であり、批判である、結論であることか。穿ちの重要な性格である。

 川柳の要素のひとつに批判性が指摘されるが、それは多くの場合、前述の「穿ち」の一歩手前の形態であることが多いのは、これは当然なことであらう。それと同時にこれが俳句と川柳との相違がいちばんはっきりした境界だと私は考えてゐる。ここに川柳として発表された作品に
                            
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