なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

父北村雨垂とその作品(135)

 昨日は鶴巻から辺野古新基地建設反対の国会前の座り込みに参加してから船越に来ました。今日は「父北村雨垂とその作品(135)」を掲載します。            

             父北村雨垂とその作品(135)

  原稿日記「一葉」から(その18)

  俳諧歌仙と西脇順三郎の詩について(その1) 
                       川研 1968年(昭和43年)11月に発表

 たしかな記憶ではないが、福岡阿弥三君が平塚の病院に呻吟されてゐたとき、哲郎君と見舞に行った。その帰りだったと思う。
 そのとき、かねがね私の考へてゐた芭蕉俳諧連句が、超現実主義を標榜する詩人の西脇順三郎氏の作品と相通ずるところがある様に思うから、調べて書いてみないかと言った事を覚えてゐる。

 その後の話は、全く記憶がないので、唯漫然と、何時かは彼が書いて呉れるであらうと期待してゐたが、遂々それは今日までみられなかった。恐らく彼、哲郎氏は忘れてしまったのだと思う。或は雨垂のいつもの戯言として、一笑に付して居たのかも知れぬ。而し私はそのときの私の言葉になにか責任の様な引っかかりがあって、どうも気詰りであった。そこで、これは矢張り私自身が書くべきだと決心した。まことに大袈裟な云い草で恐縮であるが、以下は非才の私のささやかな感想の程度であってそれに就いて深く調べたものではなく、多くの手落ちや、錯誤のあることを思うので、お気付きの点は、是非御教示を願ひ度いと考へてゐる。

 川柳研究誌に芭蕉俳諧を引合に出しては申訳ない様にも考へられるが、もとより俳諧から生れた川柳であり、現に川柳でも、かつて早川右近氏がそのグループの一部の人達と芭蕉の歌仙を究められ、次の様な立派な作品もあるので ―これは先刻御承知の方も多いと思うが― 御検討を願ひたいと思う。

 (註)特に本誌が川柳誌なので芭蕉の歌仙に代えた。

          香魚の巻

 香魚皿に端然として箸を待つ              斗酒
  水の匂ひの青きおばじま              天邪鬼
 風の声梢のあたりとりまいて              紅石
  乳飲み終えし赤児寝つかず              右近
 月を背に庭の静けさ愛でぬたり             鬼
  秋細々と盃に落つ                  酒

 旅もやや身ににむ雨の音に居り             近
  語らい尽きて唇をすはせる              石
 後添のあえかに若く囁かれ               酒
  約束ひとつ淡き微笑                 鬼
 障子白々こそばゆく着替する              石
  金のもつれに朝からの客               近
 地震かよしばし無言の灯を見詰め            鬼
  どうぞ一度は死ぬ話しなり              酒
 瘤もまた年寄らしき箔のうち              近
  文書くうしろ姿ぬすまる               石
 泣くは月笑うは花の浮世にて              酒
  讀經の家の塀に陽炎                 鬼
ニオ
 病む犬の機嫌に春の日が動き              石
  思ひ切よく剪む植木屋                近
 茣蓙にある絵本しばらく誰も居ず            鬼
  昼の花火の気の抜けた頃               酒
 飛行機の音を求めた天の河               近
  ゆきずりの娘のませた鬼灯              石
 口笛のひそかに月へ振り返り              酒
  霧に気づいて思い跫音                鬼
 崩れゆく望の中の人の顔                石
  わが胸を抱く眉の険しき               近
 床敷いて今日を忘れる足袋を脱ぎ            鬼
  祭り太鼓を粛々と聞く                酒
ニウ
 喪にありて酌む酒ながらときめきて           近
  座が白けては男みにくき               石
 新疊あまり明るくかしこまり              酒
  菓子の袋の風に吹かれる               鬼
 庭の花せうことなきに寝転がり             石
  遠いラジオも春の夜の曲               近
 
 以上この一巻は昭和12年朧字亭に於て川柳地帯誌に発表されたものだが、なかなかの佳品である。差し当たり右近氏が芭蕉の座と云ったところであらう。斗酒、天邪鬼、紅石と一座の人達は皆私の先輩で、殊に天邪鬼は川柳研究の前身である国民川柳誌の幹事でもあったし、紅石は川柳を嫌がる私を強引にこの世界に入れて、遂々、生涯私を川柳に添わせて呉れた人で懐かしい想ひを禁じ得ない。
                              (続く)