なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

父北村雨垂とその作品(114)

              父北村雨垂とその作品(114)

  1964年(昭和19年)日記より(その6)

  十月拾日

 オリンピックの開会式があるというので、大方の会社がりん時休業をした。日本人が如何にお祭り好きかを、端的に見せつけられた様に想え、何とも馬鹿馬鹿しい話である。もっともお陰で私も午後は休むことになったので、兼々行ってみたく考えてゐた相模湖へ行く。同行にK君を撰んだ。彼は余り気が向かぬ様子だったが。
 
 バスは城山のダムの側を通った。半完成ながら可成の水が溜ってゐて、中々にながめが好い。
紅葉に未だ早かったが、緑にえんの遠い生活を強いられてゐる私には、なんとも言えぬよい気分である。相模湖はオリンピックの競技場になってゐるので、無数のブイが行儀よく並んでゐた。景色は城山ダムの方が良い様に思はれた。行楽の人は全くまばらでる。その少い人々はほとんど若い男女のセットばかり、中老と老人のセット等は私とK氏の一組だけである。今は秋だが、おそらく春も斯うした情景ではあるまいか。

 湖畔で、ビールに咽喉をうるおしながら、テレビで今日の祭典をみる。豪華の一言につきる。大変なものいりであらう。私は少々耳が遠いので、天皇がなにやら言ってゐたが、彼も大変年をとったものだと、ひそかに同情の念を捨てるのに苦しんだ。彼は私と年齢が同じであるが、歴代の大臣共がどれもこれも年齢より若く見えるのに、彼がふけてゐるということは悲劇である。まあ大臣共の様に悪い事ばかりしてゐる奴と違い、彼には悪事ができないからであらう。全く気の毒である。猫背のところが私に似てゐる等も、まことに因果なことである。

 最近とみに体力のおとろえをおぼえ、僅々一、二キロの散歩で、大分疾れた。
元與セ駅から歸途につく。明日は綱島の孫のところに行く。次女、と末の純子も居る。日曜がなんといっても楽しみである。同行のK君と横浜駅で別れた。

  十月十三日夜 『酔後の論理』
 
 学者は「時間」を重視してゐるが、私はさうは思はない。但し空間は重視する。といふのは、時間はもともと「無」だからである。「時間」は無である。而し空間は無では有り得ない。というのは空間とは空間を占めるものが有って始めて空間が構成される。空間が在って始めて「有」が認識される。「有」は空間があって始めて「有」がこうていされる。空間が「有」の存在を創る根源である。では「有」が空間の母か?「否」である。

 甚だ 非論理的に聴えるかも知れないが、私はさう信じる。まあそれはそれでよかろう。
では何故に「時間」は空間の子であるか。もともと「時間」は在り得ない。時間は在るものではなくて、創られ創られたものだからである。「時間」とはそもそも「創」られるもので「有」るものではない。何故か、それは「存在」が常に「動く存在」だからである。「動く存在」が「時間」を吐き出す「状態」に置かれてゐるからである。「動く存在」か空間の存在に於て存在するからである。空間は存在の母体なるが故である。存在は動くことにあって存在を主張する。
 
 動く存在は、空間を前提として始めて始めてこうていされる。この「動く」ことが「時間」を創造する。動く存在なくして「時間」は在り得ない。存在が動くとき始めて存在がこうていされる。存在が・・・・・・ああ解らなくなった。そして疾れた。
 よく考えると・・・・・・・さあ解らなくなった。
                         止めるべきであらう。