なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

牧師室から(11)

以下は以前に教会の機関紙に書いた文章です。

                   牧師室から(11)


 佐藤研さんが『禅キリスト教の誕生』という本を出しました。Sさんが二月三日の週報のコラムでも触れていますが、既成のキリスト教に対する大変刺激的な問題提起に満ちた本です。目次を見ますと二つの大きなテーマが掲げられています。「キリスト教の再定義」と「〈禅キリスト教〉の誕生へ」です。本の表題は後半からとっているようですが、そのための前提にキリスト教の再定義の問題があることを、この本は示しています。再定義の最後の部分にこういう言葉があります。

 「そうしたキリスト教の人間的な最終目標は何か、と言いますと、『真の普通の人間になること』であるとあえて言語化したいと思います。・・・本当は、イエスのことなぞ考えずに、最後のイエスのようになれるのが最もいいのです。逆説的に響きますが、キリスト教の最後の一歩は、キリスト教をも十字架をも忘れることではないでしょうか。それこそ真の、普通の人間の成就でしょう。イエスを意識的に祭り上げ、その祭り上げたイエスの側に自分を特別に置こうとすることこそ、実はイエスをひそかに裏切り続けることなのです。これまでのキリスト教は、この「罪」にあまりに染まりすぎていたように思うのです」(134、135頁)。

 なかなか厳しい指摘ですが、的を得た批判ではないでしょうか。私には、佐藤研さんが言うところの「真の普遍的な人間」は「子供のように神の国を受け入れるのでなければ、決してそこに入ることはできない」(マルコ一0:一五)とイエスが言われた「子供」ではないかと思えるのですが。  
                   
                                     (2008年2月)

 2008年度の牧会方針にもありますが、今年度は外部から講師をお招きして礼拝と集会を数回持つことになりました。4月の役員会で3回の集会が承認されましたので、予告しておきたいと思います。

 第1回目は6月29日(日)に沖縄から村椿嘉信さん(沖縄石川教会牧師)をお招きします。村椿嘉信さんは、古い方はご存知だと思いますが、一時当教会が牧師不在の期間代務者として働いてくださった当時本牧めぐみ教会を牧会されていました村椿嘉一牧師のご子息で、ずっと沖縄で働いておられます。礼拝説教と礼拝後に集団自決の記述をめぐる教科書問題をはじめ最近の沖縄の状況についてお話していただくことになっています。6月23日は沖縄慰霊の日であり、私たちの教会はこのところ6月から8月にかけて平和月間として戦争と平和について考えていますが、その一環としての集会です。

 第2回目は8月31日(日)に、今第2と第4の木曜日午後7時から開催のキリスト教入門講座のテキストに使わせてもらっています『信じる気持ち~はじめてのキリスト教~』の著者で、同志社香里中学校高等学校聖書科教師の富田正樹さんをお招きします。礼拝説教と礼拝後懇談の時を予定しています。
第3回目は11月23日(日)に新約聖書学の大貫隆さんをお招きして、礼拝説教と礼拝後「イエスについて」の講演をしていただきます。大貫隆さんは『イエスという経験』(2003年)と『イエスの時』(2006年)の著者です。
 
 この2年ほどこの種の集会を開いていませんでしたが、どうぞご期待下さい。
                          
                                     (2008年4月)

 四月一ヶ月の間に三人の方が帰天しました。私が紅葉坂教会に赴任してから13年目になりますが、今回のように三週間続けて教会で葬儀が行われたことはありませんでした。三人の方はそれぞれ個性的に際立った最後でした。Aさんは、予期せぬ病気との3ヵ月半の向かい合いの中で、自ら延命処置を拒否し、ご自分の強い意志で死を迎えました。Kさんは、もう少しで満107歳になるという実に長い人生を、最後の最後まで生命を燃やし続け、静かに息を引き取りました。Mさんは、教会の礼拝には一度も出席されたことはありませんでしたが、今年1月11日に本人の希望で自宅病床洗礼を受け、長い癌との向かい合いの時間を経て、神に全てを委ねて静に人生を閉じました。

 ひとりの人の死には、その人の人生の全てが集約されていること、その人独特の香りがあり、他の人には代えられないその人固有の貴重で多くの証言に満ちていることを、私は常々感じてきました。今回の三人の方々の死においても、そのことをしみじみと実感させられました。そして三人の葬儀の司式を続けてしているとき、ふと自分はどのような死を迎えることになるのだろうかという思いが胸をよぎりました。けれども、私たちは他者の死を見て、自分の死に思いを馳せることは出来ても、自分の死について知ることはできません。生きている者の出来ることは、死ぬまで自分の与えられた命を燃やし続けて生き抜くことだけです。本年3月84歳で教会の担任を引退されたM牧師は、個人誌をこれからも書き続けるそうです。
                       
                                     (2008年5月)

 先日土曜日の夕方突然Iさんが、県立音楽堂で彼が所属する合唱団の指揮者の演奏会があってこちらに来たというので、その帰りがけに訪ねてくれました。彼はA・Iさんの息子さんで埼玉に住んでおり、Aさんご夫妻はしばらく前に彼の近くに越して行かれました。Aさんは彼が所属する教会に転会して、今は一緒に礼拝に出席しておられるとのことです。彼とはAさんがまだ横浜にいる頃、Aさんが病気で入院した時に久しぶりに会いましたが、今回のようにゆっくり話したのは彼の高校時代以来ですから40数年ぶりです。この教会で私がまだ神学生だった頃にKKS(教会高校青年会)を担当していた時、彼は高校生でした。その頃高校生の仲間の一人が自死したということがあり、彼もそれに動揺したのでしょう、今で言えば一時的な引きこもり状態になり、私が彼の家を訪ねて話しに行ったことを覚えています。その時彼は自分の将来の夢としてフルトベングラーのような指揮者になりたいと言っていたのを思い出します。彼は今合唱団に所属し、教会では聖歌隊の指揮者をしているそうです。仕事は東京都の職員で児童相談所で働いていますが、以前子どもたちの施設で働いていて、その施設を卒業した子が自分が一番会いたい人に会わせてくれるというテレビ番組に出演し、その人が彼だったということがありました。Aさんがその録画のビデオをもってこられ、私も観たことがあります。彼は一年前から場所は違いますが以前と同じ施設で働いているそうです。

 「子どもは変わらない。愛情を注いで接すれば必ず成長する」。確信をもって語る彼の言葉に心打たれました。 
                                     (2008年6月)